トルコに関する参考書を読んで興味深い文章、言葉を並べて
 みました。トルコに関する理解を深める手助けになれば幸い
 です。


  



 人にやらせる
    トルコ人に限らず,遊牧の人はみな、それぞれほかの民族に自治組織を
    持たせてとにかくそのうまい連中にやらせる。商売はアルメニア人とか、
    ユダヤ人にやらせる。それから海運はギリシャ人というふうに、人にやらせる。
    だからギリシャ正教の人とかユダヤ人もずっと住んでいたんです。


 財産を小さくする
    
遊牧していた人達はとにかく財産を小さくする。宝石とかの取り扱いは
    うまい。ちなみにトルコ石はトルコ産という意味ではなくトルコ商人経由
    と言う意味。


 トルコ風呂の由来
    イスラム教では祈りの前に体を清めることからイーマム(宗教指導者)が
    変化しハマムとなったといわれている。


 公衆トイレ
     主に地下にある。番をしている人に小銭をわたす。水で局部を洗う
     習慣なので紙は備えられていない。小銭・・・普通500TL、汚した場合
     1,000TL。・・・
一度しか公衆トイレは利用していない。たしかお掃除
     おばさんに100,000TLを事前に渡した記憶がある。男子小用だったので紙の
     有無は記憶がない。汚したら後から追加で100,000TLを渡せばいいのかな。


 主婦が一番頭を悩ませていること
     断水。夏から秋にかけてがとくにひどい。三日のうち丸1日断水するのは、
     あたりまえ。どの家庭でも水貯めのポリタンクがいくつもおいてある。


 日曜日に繁盛する店
     
内臓専門店。日曜日は肉屋が休みなので、内臓料理を食べる人が多い。
     羊、牛のすべての内臓はもちろんのこと、羊の頭や足や胃袋や脳味噌も
     売っている。


 イスタンブルの好きな理由(塩野 七生)
     @料理がおいしいこと
     Aグラン・バザールの一画にひしめいている宝飾屋
     Bタバコを吸うのに恐縮しなくていい


 メフメットニ世
     長身で丸顔で、血色はよく、雄羊のような鼻をもつ筋骨逞しい人物
     であった、と記録されている。ベネツィアの使節の報告では、
     親しみよりは威圧感を与える人物で、ほとんど笑わないという。
     トルコ語、アラビア語のほかギリシャ語、スラブ語を話したようだ。  
     彼の生母フーマ・ハトゥーンはキリスト教徒の女奴隷。
     長兄、次兄が相次いで死亡。彼は三男。12歳の時スルタンの
     地位についたが2年後その座を父にとりあげられた。
     復位はその5年後。
メフメットニ世19歳の時。
 
             


 5月29日と5月19日
     コンスタンティノープルの陥落は、ビザンチン帝国の滅亡であり
     その日付は1453年5月29日であった。この日は征服者の日と
     されている。つまりオスマン帝国の勝利の日である。

     一方トルコ共和国の父といわれるケマル・アタチュルクは1919年
     5月19日、二人の将校を従えてサムソンに上陸した。第1次世界
     大戦でドイツ側についたオスマン・トルコ帝国は、敗戦によって連合国
     に占領され、崩壊寸前であった。連合国はトルコの分割を意図していた
     のである。ケマル・アタチュルクはサムソンに拠点を設け、連合軍を
     領土から撃退し、祖国を分割の危機から救出した。新生共和国の
     誕生日であり、オスマン帝国が打倒された記念日でもある。
     政府は5月19日を国家の祭日と定め特に青年の日として
     各種のスポーツ大会、パレードを大々的に行っている。

     5月29日は民族の記念日、5月19日は国家の記念日である。

         


 カリフとスルタン
     現在のトルコ共和国は、オスマン帝国のスルタンを打倒して成立。
     オスマン帝国ではカリフとスルタンの二つの称号が用いられていた。
     カリフとは神の使徒の後継者の意味であり、スルタンはイスラム世界での
     有力な統治者の称号である。カリフが宗教的な権威者であるのに対して
     スルタンは世俗的な首長を指す。オスマン帝国の皇帝は双方を兼ねた。
     人々はスルタンのほうになじみがあった。


 聖ソフィアの第二次再建
      2回の炎上の経験で本体に木材を使わないことを原則とした。
      それまでの聖ソフィアは外壁だけは石だったが屋根をはじめ
      内部の柱等は木造であったらしい。
      再建は千人の棟梁と一万人の労働者が作業に従事。建築材料は
      全国から集められ、バールベック、ヘリオポリス、エフェスなどの
      著名神殿の円柱や彫刻が運ばれてきた。大理石も白はプロコネッソス、
      緑はテッセリア、金色はリビア、ピンク色はフィリギア、アイボリ色は
      カッパドキアのものが用いられた。工事完成は5年後の537年。
      我々が仰ぎ見ているのはこの3代目。
聖ソフィアがイスタンブールの
      シンボルであるのは1200年のビザンチン時代と、それに続く500年の
      オスマン・トルコ時代が混ざり合ってそこに表現されているからである。


 ラテンの侵略
      1204年の第4回十字軍は、あろうことか同じキリスト教国である
      ビザンチンの首都に乱入し、略奪の限りを尽くした。十字軍は本来
      エルサレム奪回のための遠征軍であるが、コンスタンチノープルを
      占領し自分たちの政権を樹立した。これがラテンの侵略である。
      エルサレムは巡礼の地であり西方のキリスト教世界には巡礼の
      習慣があったが、東方のキリスト教世界にはその習慣はなかったの
      である。なぜならば最後の晩餐のテーブルから聖母マリアの涙まで
      あらゆる聖遺物がコンスタンチノープルには揃っていたからである。
      東方のキリスト教世界にとってはエルサレム奪回の聖戦に参加しない
      西方に不満を持っていたといわれている。
      第4回十字軍の主力はベネツィア人で、馬車競技場門上に飾られていた
      4頭の馬は現在ベネツィアのサンマルコ聖堂の上に飾られている。

      この馬、サンマルコ広場で見ました。略奪品だとは知らなかった。
      写真の正面の屋根に飾られています。

      
      ラテン帝国政権は約60年継続しました。


 逆さに置かれたメドゥーサの像
      地下宮殿の入口から最も奥にあたる部分に円柱の礎石として
      巨大な大理石のメドゥーサの像が逆さに置かれている。
      ギリシャ神話では、その目でにらまれた人間は蛇になってしまうと
      いうおぞましい女神である。顔を逆さにしたのは、まともに視線を
      受けることをおそれたという説がある。
      メドゥーサの像はキリスト教以前のギリシャ人がどこかに立てた
      像であって同じギリシャ人でもビザンチン時代のギリシャ人に
      とっては異教時代の祖先であった。彼らにとって神像でもなく
      ただの石材であるとするのが正解かも知れない。
     


 欲望をもたない男
      コーランの第24章に、女性信者の心得として、
       
「目を伏せて隠し所を守り、露出している部分の他は、わが身
       の飾りとなるところをあらわしてはならない。ベールを胸もとまで
       まで垂らせ。自分の夫、親、自分の子、夫の子、自分の兄弟、
       兄弟の子、姉妹の子、身内の女、あるいは自分が右手で所有
       するもの(奴隷)、あるいは欲望を持たない男の従者、あるいは女の
       隠し所について知識のない幼児、以上を除いてわが身の
       飾りとなるところをあらわしてはならない」
とある。
      欲望をもたない男とは去勢された臣官をいう。
      トプカプ宮殿のハーレムでは男性の機能を失った男は安心して
      使われた。


住民交換
    第1次世界大戦でドイツ側についたオスマン・トルコは、敗戦によって
    解体、分割の危機に追い込まれた。1830年に独立を勝ち取っていた
    ギリシャはイギリスの支援のもと大軍を動員してトルコに出兵したが
    トルコのケマル・アタチュルクが撃退した。1922年のことであるが
    その年にスイスのローザンヌで講和会議がひらかれ、住民交換が決められた。
    トルコ国内には200万人のギリシャ人が住み、ギリシャ国内には90万人
    のトルコ人が住んでいた。それを交換したのだ。のちに世界の海運王となった
    ソクラテス・オナシス(ケネディ未亡人ジャクリーンの再婚相手)もこの時の
    住民交換でトルコから去ったギリシャ人のなかの一少年だった。


 ペラパラス・ホテル411号室
    19世紀末竣工当時の面影を残し、格調の高さで知られている。
    このホテルの411号室はアガサ・クリスティのメモリアル・ルームと
    なっており、この部屋で「オリエント急行殺人事件」を書いたようです。
    1926年12月、母の死と夫の愛人問題でショックを受けた彼女は、車
    で家を出たまま10日後に記憶喪失の状態でヨークシャのホテル
    で発見された。彼女の記憶はないが、その期間このペラパラス・ホテル
    にいたという。
    
このホテル行きました。格調高いエレベーターにのって411号室の
    前まで見学しました。ボーイさんが案内してくれました。
    写真は玄関のエレベーター。乗ってから自分でドアを閉めます。

     





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