たまにつける日記です。          後悔航海日誌            2002年12月

 1  なつかしの給食の本を買う
 PCラベルプリンターを買う 
 4  チェコのWEB上で閲覧できる“ネット通知票”
 5  婦女強姦未遂事件を起こしたアメリカ海兵隊少佐の身柄引き渡しを拒否  7  シルクロード絹と黄金の道展を観に行く
 9  防火訓練 10  ニミッツ級最新鋭空母は「ジョージ・H・W・ブッシュ」
14  赤穂義士吉良邸討ち入り300周年記念日に赤穂へ行く 16  万歩計の電池を買い換える
17  パソコンのHDDを換装したときに無くしたネジの代わりを買う 20  ときメモ3の1周年に恵美告白するもインターハイは語ることなし
21  世界大風呂敷展を観に行く 23  暮れなので部屋の掃除をする
25  神戸のルミナリエを観に行く 27  今日は御用納めの日、IBMの卓上カレンダーをもらう
31  交響曲第9番「碧の眼をもつ小さな黒豹」


2002年12月 1日(日)
 今日は神戸の書店に取り寄せを頼んでおいた本を引き取りに行って来た。
 なつかしの給食なつかしの給食おかわりという昭和30年代から平成にかけての給食メニューを紹介した本だ。
 小学生時代に食べた鯨肉の甘辛煮は載っていなかったが、鯨肉の竜田揚げはしっかり載っていた。
 家で同じメニューを作ってもらっても、なぜか給食とは味が違う。
 以前給食メニューを出すレストランに行ったことがあるが、現在は給食メニューを中止しており残念である。

 それからラベルプリンターのテプラを買おうと家電量販店に行ったが、買おうと思っていた機種は無かった。
 そこで大阪まで出向いて梅田のヨドバシカメラに行くとあった。
 買ったのは、KINGJIMのPCラベルプリンターSR3500Pである。
 従来のテプラと違い、これには文字入力デバイスがなく、文字入力はパソコンで行う。
 つまりラベルプリンターに特化した機種であり、パソコンがないと使えない代物である。
 しかしテプラ本体に装備されている文字入力機構を使うよりもパソコンのほうが漢字変換なども慣れているし、出先に携行することはないのだから、これでよい。
 さて、帰宅してからさっそく使ってみる。
 まずはドライバなどをインストールして、テプラをUSB接続する。
 そして一緒に買ってきた蛍光緑のテープカートリッジをセットする。
 ちょっと待てよ、なになに、たるみを取るために穴に鉛筆を突っ込んで回すのか。
 鉛筆の代わりにハサミを挿して回す。
 もうちょっと回すか。
 あれれ、抵抗が弱くなったぞ、もしや・・・
 とにかくカートリッジをセットして、まずはPS2メモリーカードのラベルを作ってみる。
 よし、印刷だ。
 ウィーン…
 出てきたテープを見ると、薄く白っぽい文字がプリントされているが、これでは光にかざさないと読めない。
 そもそもこのカートリッジは蛍光緑の地に黒文字のはずだが。
 カートリッジを取り外して観察すると、なにやらインクリボンのようなものがちぎれている。
 たるみを取った時にきつく回しすぎてブチ切れたらしい。(^_^;
 これで700円のテープカートリッジがパァである。
 ラベル作りは火急の用ではないが、せっかく買ってきたのだから試したい。
 お試し用テープは付属しているが、近所の家電量販店までテープカートリッジを買いに行くことにした。
 実は昨日買いに来ていたのだが、このラベルプリンター専用機は先週発売されたばかりの新型機なので、近所の電器屋には軒並み入荷していなかったのだ。
 しかしサプライなら共通だからと、買いに走った。
 蛍光緑のテープカートリッジは無かったからパール調緑のテープを買ってきて、こんどはソフトにたるみ取りして、無事ラベル作成に成功した。
 メモリーカードやACアダプターのラベル以外の使途は、まだ思い浮かんでいないが、ラベルプリンタは以前から欲しかった一品だから満足した買い物である。


2002年12月 4日(水)
 紙ベースの通帳を発行せず取引履歴はWEBサイトで確認するインターネットバンクがありますが、なんとチェコでは保護者が自分の子供の成績をWEB上で閲覧できる“ネット通知票”が普及し始めているそうですな。
 新聞によると、ネット通知票を導入しているのは全国の小中高約20校にのぼるそうです。
 これまで、試験のたびに結果を成績手帳(通知票)に記して保護者に伝えていたんですけど、保護者に成績手帳を見せない子供たちが多かったんですわ。
 日本でも通知票を見せない子供がいますが、どこの国の子供でも同じ事を考えるもんですな。
 ネット通知票になると成績を隠し事することができなくなるって寸法ですが、通知票のサイトをハッキングして改竄する子供とか出てきたりして。(笑)
 プライバシーが外部に流出する危惧から導入に反対する学校もありますが、チェコの教育省はサイトが厳重に保護されている限りは問題ない、との立場だそうですな。


2002年12月 5日(木)
 新聞によるとやな、2日に沖縄で婦女強姦未遂事件を起こしたアメリカ海兵隊少佐の起訴前身柄引き渡しを要請しとった日本に対してアメリカは引き渡しを拒否してきよったっちゅうことや。
 1995年の日米地位協定運用改善で殺人や婦女暴行などの凶悪犯罪の場合は起訴前の身柄引き渡しが可能になったんやけど、制度上可能ちゅうだけで実効性が無いんやから画餅やな。
 表向きは、今回は未遂やねんから起訴前に身柄を引き渡すような凶悪犯罪ちゃう、ちゅうこと言うとるけどな、なに眠たいこと言うとんのや。
 引き渡すんが嫌やったらそれでもエエわ、名誉ある合衆国軍人に相応しく自裁させとけや。
 そもそもアメリカ合衆国には、アメリカ人がソトで何をしても罪にならへんと考えとるようやな。
 ホンマいつまで経っても度し難い連中や。
 性犯罪者に少佐なんて高級将校の地位を与えとるような集団や。
 このところ中東情勢がキナ臭い香ばしいけどな、まぁ見ててみ、あいつらのことやからイラクにカチ込みかけたら調子に乗ってリンチやレイプの大量生産しよるで。
 まぁ、お得意の情報操作で正義と民主主義の擁護者みたいなツラ取り繕うやろうけどな。(嗤)


2002年12月 7日(土)
 今日はシルクロード絹と黄金の道展を観に大阪歴史博物館に行った。
 今回の展示は中央アジアのものが主である。
 まずは貴石象嵌金製杯と貴石象嵌金製マスクである。
 ひしゃげてはいたが赤い石をはめこんだ金杯は日常生活でも使用されたのだろうか。
 黄金のマスクは金の板を顔面の形にしたもので、これにも赤い石がはめ込まれている。
 往昔ポートアイランドで開催されていた黄金のファラオ展で古代エジプト王の黄金のマスクを観たことがあるが、やはりファラオのマスクに較べると今日観たマスクは見劣りしてしまう。
 フク(腹の月が金になっている)という銅製の煮炊きの道具は遊牧騎馬民族に愛用されていたが、東ヨーロッパのドナウ川流域にも同じ様式の銅器が10個以上出土している。
 これもシルクロードによって運ばれたものであろうか。
 虎文金製飾り板や赤い貴石と金粒模様の飾り板など、金製品が多い。
 金製帯留め金具は、革ベルトの一端に取り付け、ベルトの穴に針を挿して留める形式で、いわゆるバックルである。
 雲の中を飛ぶ龍がデザインされており、漢王朝の官営工房で製作されたものらしい。
 これは異民族の有力者を手懐けるためのプレゼントとして作られた特製品ではないかと考えられている。
 小型の碁盤や双六盤がある。
 碁を打つ美人図があるが、彼女も神の一手を目指していたのだろうか。
 人面付き灯具は、筒状の土器で上部がお椀のようにくぼんでおり、そのくぼみに煤がついているところからランプとして用いられたのだろう。
 伏義女カ図(ふくぎじょか図 カは女編に咼)という絵がある。
 上半身が人間で下半身は蛇という姿で、男の伏義と女の女カは中国神話に登場する天地創造の神であり、周囲に太陽・月・星座が描かれている。
 蛇は古代エジプトでも神聖視されていたが、キリスト教では悪魔の化身である。
 見ると北斗七星もあるではないか。
 俑もいくつか展示されている。
 俑とは副葬品に使われた人形の土器で、日本の埴輪のようなものである。
 天王は仏教の守護神ながら唐時代には墓を守る神としても位置づけられ、天王俑が作られた。
 この天王俑、しっかりと天の邪鬼らしき者を踏みつけている。
 棺が2つ展示されている。
 1つは、月を象徴するヒキガエルと太陽を象徴するカラスが描かれている。
 もう1つは、四神双鳥文木棺で、東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武の四神が描かれている。
 彷東ローマ金貨は、東ローマ帝国の金貨をまねて作られた金貨である。
 またサザン朝ペルシャの銀貨もあった。
 さすが東西交流のシルクロード、西方の貨幣も流入していたのだな。
 ウイグル語の要請状という文書がある。
 内容は、奴隷が結婚するにあたって主人に対して資金や物資の援助を依頼するものである。
 奴隷といっても転職の自由がないという程度の身分だったのだろう。
 ローマ帝国に於ける奴隷も、身分が奴隷というだけで一般市民よりも裕福な生活をしていた者もいたという。
 これがアメリカ合衆国なら、奴隷が主人に要求などしようものなら容赦ないリンチが科せられた。
 古代の奴隷という身分は、破産して身売りしたとか戦争で捕虜になったといった個人の不遇だと解されていた。
 それが近世イギリス人は、アフリカ大陸で「野生動物として捕獲した」あるいは現地の幹部相手にガラス玉などと交換してゲットしたアフリカ人をアメリカの白人に売りつけ、アメリカの白人は「それらを家畜化した」。
 ここに「黒人=奴隷=劣等」という定理がデキあがり、奴隷解放後も拭いがたい感情が尾を曳いている。
 いかにアメリカ合衆国の奴隷制度が厳しく過酷なものだったか、我々の想像を絶するものであろう。

 博物館を出たあと梅田に出て、恩師へのお歳暮を注文し、ヨドバシに寄ってテプラのテープカートリッジ蛍光グリーンを購入した。
 それから三宮まで移動してアニメイトで予約しておいた藍青カレンダーを引き取ってきた。
 このカレンダー、暦の配置が横一線になっていてる。
 一週間単位で改行する配置でないと使いにくいから、これはポスター代わりということにした。


2002年12月 9日(月)
 今日は防火訓練があったんだよ。
 非常ベルが鳴って訓練火災発生の放送がされた直後に避難しようとしたら「まだや、総員退館の放送があってからや」と注意されちゃった。テヘッ
 そして総員退館の指示があって、口にハンカチをあてて階段を降りて避難したんだ。
 前庭に一同揃ったところでハシゴ車による救助実演を見学だよ。
 屋上に選ばれた若手が救助を待っていて、ハシゴ車で次々救助されたよ。
 それから消火器操作訓練だー。
 普及しているABC消火器はね、粉末の消火剤を吹き付けるもので、油火災や電気火災にも対応しているものなんだ。
 仕組みはね、レバーを握ると中の炭酸ガスボンベに穴があいて炭酸ガスがでてきて、ノズルしか行き場のない炭酸ガスが消火剤の粉末を道連れに噴出するというものなのね。
 消火器が転倒した場合などに備えて、安全ピンがついているんだ。
 使用方法はね、安全ピンを引き抜いてノズルを構えレバーを握る、です。
 射程距離は、家庭用だと概ね3〜6メートルほどなんだ。
 そしてね、噴射するときは、炎の上を狙ってもダメで、炎の根本を狙うことだよ。
 訓練に使う消火器は粉末の代わりに水が出るもので、これを炎に見立てた的に向けて放射するのね。
 選ばれし4人が消火器を使って炎の絵が描かれている的の下半分に水を浴びせたら、的がクルリと回って炎が消えましたー。
 ここでお子様が喜ぶんだって。
 冬になり火を使う機会が増えるだろーけど、さらに防火意識を高めていこうと思いました。


2002年12月10日(火)
 新聞によると、アメリカ合衆国海軍は建造中のニミッツ級最新鋭空母(9,7000トン)を、ブッシュ大統領の父であるブッシュ元大統領を記念して「ジョージ・H・W・ブッシュ」と命名すると発表した。
 大ブッシュは元海軍パイロットで第2次大戦に従軍し日本軍に撃墜された経歴を持つそうじゃ。
 日本なら縁起が悪いとか言われるじゃろうな。
 ところで… 元大統領を記念するのなら、2期務めたレーガン元大統領の名を冠してもよさそうなものじゃが、やはり小ブッシュにゴマをすって大ブッシュの名を冠したのじゃろう。
 大ブッシュは前の湾岸戦争に勝利しながら再選されなんだからの、レーガンに比べると器量不足の感がする。
 空母などの命名には大統領の了解が必要じゃが、フライシャー報道官は、ブッシュ大統領が命名に関与したかとの質問に「まったく知らない」とトボケていたそうじゃ。
 まぁ目くじら立てるほどのことではないし、ドラ息子の親孝行として微笑んでおくとするかの。
 ちなみに空母ブッシュの配備は2009年の予定じゃ。


2002年12月14日(土)
 本日は赤穂義士吉良邸討ち入りから300周年にあたる記念日です。
 大石内蔵助良雄を始めとする47人の義士たちが吉良邸に突入したのは、正確には12月15日午前4時頃なのですが、江戸時代は夜明けをもって一日の始まりとしていたので12月14日とされています。
 義士にゆかりのある地では義士祭が行われていることでしょう。
 この300周年という記念の日に赤穂市に行きました。
 もちろん赤穂では一年のメインイベントともいえる義士祭が開催されています。
 朝8時頃に出発して10時過ぎに到着、すでに大勢の観光客でにぎわっていました。
 まず浅野家菩提寺の花岳寺に参りました。
 花岳寺では法要が営まれており、四十七士のコスプレをした人々が本堂前に整列しています。
 花岳寺の梵鐘は、四十六士切腹の報せが届いたときに町民が四十六士の死を悼んで衝くまくったため「爾来音韻を失すること五十年」と寛政9年再改鋳のときに銘記されました。
 それで「鳴らずの鐘」と呼ばれるようになりました。
 第2次世界大戦の折り、金属回収により全国の寺の梵鐘が供出を命じられましたが、この鳴らずの鐘は「義士との由緒深きにより」供出を免れたのです。
 花岳寺をあとにして赤穂城に向かいます。
 追手門のところでは、大名行列のパレードが出発しようとするところでした。
 大名行列というと、毛槍を回したり独特の作法で歩むイメージが強いですが、それは町中を通る時だけで、街道ではおしゃべりしたりしながら歩いていたそうです。
 また大名本人も景勝地では駕籠から降りて馬に乗ったり徒歩で景色を楽しんだそうです。
 そうはいっても、大名行列は1日40kmくらい進む強行軍でした。
 ちなみに赤穂・江戸間は680kmほどあります。
 大名行列パレードが大手門を出ると、城内に入りました。
 追手門の付近には、なぜか雪が降り積もっています。
 門内に入ると、人工降雪機を積んだトラックが止まっています。
 なるほど、吉良邸討ち入りの時は、前日に降った雪が積もっていましたから、追手門付近にわざわざ人工雪を降らせたというわけですか。
 この雪、さわると粉っぽいし、なかなか熔けません。
 水だけでなく何か熔けにくくする混ぜモノが使われているようです。
 赤穂城内には義士を祀った大石神社があります。
 明治元年の明治天皇第1回東京行幸の折り、泉岳寺の四十七士の墓前に勅使が遣わされて宣旨を賜ったことをきっかけに明治33年に大石神社が創建されました。
 大石神社の鳥居前には義士たちの石像がずらり居並んでいます。
 それらの石像は、義士の子孫の方々を中心とする有志の寄贈によるもので、中国の兵馬俑作家に発注して作られました。
 大石神社では義士踊りが奉納され、長野県伊那市からの参加チームもあります。
 神社に付属する資料館「義士宝物殿」を参観しました。
 そろそろ義士祭のメイン義士行列パレードの時刻が迫ってきました。
 追手門に急行したのですが、門前には既に大勢の人垣ができています。
 そこで比較的すいている門内に戻り、パレードに出発する義士たちを見送ることにしました。
 義士行列を送り出したあと、また大石神社に行き、大石内蔵助邸を見学したりしました。
 神社では玉垣や石柱の寄進を募っており、まだ埋まりきっていません。
 操も石柱を1本寄進することにしました。
 石柱は20万円と賽銭としては結構な金額ですが、数十年から数百年保ちます。
 自分の死後も、自分が元禄の英雄たちを讃えたことが残るならと、決断しました。
 石柱に刻む文言は、これはさすがに本名をお願いしました。
 操の本名を知っている方は、大石神社を参拝することがあれば探してみてくださいね。
 それから赤穂城跡を散策したり赤穂市立歴史博物館を見学してから帰途に就きました。

 途中三宮で本屋に寄ってHabatakiWatcherを買ったのですが、神戸ルミナリエ見物は後日を期することにしてパスしました。

息継ぎの井戸
花岳寺鳴らずの鐘
義士の法要に参列する義士たち
大名行列その1
大名行列その2
追手門付近にあるポスト
大石神社
大石神社にある大石内蔵助石像
大石内蔵助所用の太刀と脇差し
大石内蔵助が揮った采配
CHIUSHINGURA OR THE LOYAL LEAGUE 忠臣蔵の最古の英訳本で、フレデリック・V・ディキンズ訳 1876年横浜とロンドンで発刊
大石邸長屋門
パレード出発前の義士行列メンバー
赤穂城を出陣していく義士たち
赤穂城天守台からの眺め
大石邸の庭


2002年12月16日(月)
 万歩計の電池が寿命を迎えているのか、表示が薄くなってきているでやんす。
 そこで電池を交換することにしたでやんす。
 ボタン電池は10個以上の手持ちがあるから、さっそく電池交換してみたでやんす。
 その前に、記録されている累積歩数を記録しておくでやんす。
 ふむ、この正月にリセットしてから今日までで312万歩でやんすか。
 ありゃりゃんぱっ、フタが閉まらないでやんすよ。
 よく見ると万歩計の電池はLR43相当でやんすか。
 手持ちの電池はLR44相当でやんすから、これじゃ厚いんでやんすな。
 近くの家電量販店に行ってLR43を買ってくるでやんす。
 LR43相当の電池はすぐに見つかったでやんす。  だいたい160円前後でやんすな。
 なに、480円のがあるでやんすよ。
 よく見ると、あら懐かしや酸化銀電池でやんすよこりゃ。
 往昔ボタン型電池は酸化銀電池でやんした。
 それが銀価格が騰貴して、寿命は短いが値段の安いアルカリ電池になったでやんす。
 たしかアルカリ電池の寿命は酸化銀電池の半分くらいだと当時聞いたでやんすよ。
 今売られている酸化銀電池は値段3倍でやんすが、寿命も3倍とは限らねぇでやんす。
 だけども懐かしさもあって酸化銀電池のほうを買ったでやんす。
 はてさて、この酸化銀電池で何年保つのか楽しみでやんすなぁ。
 電池に使用開始年月日を書いておいたでやんす。


2002年12月17日(火)
 今日はね、銀行に行ってお小遣い降ろしてきたの。
 ほらほらだって、だってさ、14日に有り金のほとんど遣っちゃったんだもん。
 なるべくならキレイなお札がいいなぁ、と思ったから中之島支店で降ろすことにしたの。
 中之島支店の両替機は、壱万円券に両替するを選ぶと新札の壱万円券に両替してくれるから。
 さすがお昼時、ATMには結構な行列ができてるなぁ。
 両替機は2階に移転してたのね。
 それで2階に行くと、2階のATMはガラガラに空いてるの。
 ちょっと2階に上がるだけで並ばなくてもいいのにね、ものぐさするから却って時間浪費しちゃってるよコイツ等。
 お金を降ろしたら隣の両替機で新札に替えて任務完了。
 いやまだだよ、次は大阪本店の両替機で5万円分ほど千円券に両替しなきゃ。
 大阪本店の両替機では、五千円券と千円券が新札で出てくるんだ。

 日本橋に行ってネジを買うの
 以前パソコンのHDDを換装したときにネジを1本無くしてしまったみたいなのよね。
 そのままでも支障はないけど、やはり締めておかなきゃ。
 ところがあいにく手持ちのネジには合うのがなくてね。
 日本橋にはネジの専門店があって、そこに行くと探していたサイズのネジがあったよ。
 それからコミックスとかを買って天王寺までまわってから帰途についたんだ。
 さて、帰宅してからパソコンを開けて空いているネジ穴に買ってきたネジを突っ込むと…
 裏にあるネジ穴が塞がっているじゃん!
 そうかぁ、そこは裏から差し込むネジが貫通してくるところだったんだ。
 ネジを無くしたと思っていたけど、無くしていたんじゃなかったんだ。アハッ


2002年12月20日(金)
 昨夜、というか今朝5時に帰宅してから11時過ぎまで寝ていたぜ。
 昼からときメモ3をプレイした。
 数日前からチョコチョコとプレイしていたが、今日はときメモ3の1周年だからな、エンディングまでやってやるぜ!
 19時過ぎに無事卒業式を迎えた。
 告白してくれたのは初プレイの時のと同じ橘恵美嬢だ。
 昨年の初回プレイ時は本命を決めずに自然体プレイで進めたが、今回は伝説の坂で会ったから狙っていった。
 合気道部に入部して、部活漬けの甲斐あってインターハイではアベック優勝を決めたぜ。
 で、エンディング後のモノローグだが、インターハイ優勝が語られていねぇ。
 こんな感動的な重要事績が思い出になっていないなんて、そりゃないぜエミー! 


2002年12月21日(土)
 今日は世界大風呂敷展(せかいだいふろしきてん)を観に国立民族学博物館に行ってきたで。
 博物館に着いたらまずは昼飯や。
 博物館のレストランで飯食ったらちょうど民博ゼミナールの時刻やから聴講するで。
 今日のゼミは日本の風呂敷文化や。
 風呂敷ちゅうたら「包む」と「結ぶ」や。
 包む文化には、隠すことの美があるんやて。
 これを言い出したんは世阿弥やそうや。
 いつも見せてると珍しくなくなって有り難みが無うなるんや。
 やから日本の権力や権威は普段隠れとるんやな。
 欧米の権力者はよく民衆の前に姿を現しとるけど、日本でもそうなったんは欧米に追いつけ追い越せってなった明治以降のことや。
 結ぶ文化は、閉じることの意味を考えることやな。
 西洋には帆船時代に多くのロープの結び方が考え出されたけど、どれも実用性だけで飾り結びちゅうもんは無いんや。
 日本では、結ぶことに聖なる世界あるいは穢れた世界との境界を示して余計なモンが入ってこんようにする意味を持たせとる。
 つまり結界やな。
 風呂敷の語源は風呂にあり、蒸し風呂で床に敷いたり衣服を包んだりするのに使った布が始まりや。
 現存する最古の風呂敷は正倉院に保管されてる衣装包みの布や。
 布きれでモノや赤ん坊を包む文化は、日本だけやのうて世界中にあるで。
 包むモノは、衣装・食料・赤ん坊から遺体まで多種多様やな。
 昨今風呂敷の使用が減っとるようやけど、何度でも使える風呂敷を見直すべきなんやろうな。
 そやけど風呂敷が衰退した理由は、手提げの紙バッグやポリ袋の普及だけやのうて、なんといっても宅配便の普及が大きいそうや。
 昭和51年に黒猫大和の宅急便がサービス開始して以来その普及は凄まじく、いまでは結婚式の引き出物やら修学旅行のお土産なんか自力で持ち帰らず宅配してもらう時代やからな。
 ゼミが終わってから特別展示室で大風呂敷展を観覧や。
 場内には、世界の包み布や日本の風呂敷が展示されとる。
 経典やコーランなど宗教関係の書物を包むもんは、どこでも豪華やな。
 土葬の慣習があるところでは、遺体を包む布が重視されとる。
 韓国では布で包んで土葬するんやが、布製の靴まであるで。
 マダガスカルでは一旦土葬した遺体を改葬する習慣があるんやけど、そのとき山繭で編んだ布で包むんや。
 山繭は貴重やさかい改葬するんは大変な出費なんやて。
 日本のコーナーでは、風呂敷や袱紗が展示されてる。
 風呂敷と袱紗(ふくさ)は機能的には同じで、どう違うかちゅうと麻製や木綿製のんが風呂敷で絹製のんが袱紗なんやて。
 モノを包む用途の風呂敷は家紋が包んだ時に見えるよう隅のほうに配置され、掛け布として使う風呂敷は家紋が中央とか上下とかに配置されとる。
 昔は布が貴重やから、破れても継ぎをあてて使い最後は雑巾にして使い倒したんやな。
 そやから江戸時代までの風呂敷は茶道具を包んだようなもの以外はほとんど残っておらんそうや。
 おっ、長い黒髪の女の子がメモ取りながら真剣に観とるで。
 髪染めたりパーマかけたりしてへんし、こないな展示観に来るくらいやから大和撫子なんやろな。
 今日はこの展示室でミュージアル・コンサートがあるんや。
 それですぐに帰らずコンサート聴いていくことにしたんや。
 I COSMIちゅうコーラスグループの歌声を楽しむ夕べや。
 曲目は、春の小川やふるさとなど日本の四季の歌、埴生の宿などイギリス民謡、そしてクリスマスソングや。
 次回この博物館を訪れるんはいつやろうな。


2002年12月23日(月)
 もう暮れでやんすから、今日は部屋の掃除をしたでやんす。
 ゴミ袋1杯分捨ててすっきりしたでやんす。
 だけど1ヶ月もしたらまた元の木阿弥かもしれないでやんすが、取り敢えず掃除は済ませたでやんす。
 年賀状は既に投函してあるし、これで心おきなく新年を迎えられるというものでやんす。


2002年12月25日(水)
 今日は神戸のルミナリエを観に行ったんですよ、ルミナリエ。
 ルミナリエってぇのは、阪神淡路大震災の犠牲者を鎮魂するために始められた、光の彫刻と表現されるイルミネーションのお祭です。
 今年は今日が最終日なんでね、それで行ってきたんですよ。
 19時前に三宮に着いたんで、アニメイトに寄って藍より青しのDVDやらいろいろ買い物して、それから元町まで移動したんです。
 そしたらアンタ、元町の大丸近くから三宮あたりまで回って折り返すって迂回路が設定されているんですよ。
 去年も確かそんな感じでしたかね、それ見て帰っちゃいましたけど。
 でもね、一昨年はこんな迂回しなかったですよ。
 もうね、これは明石の歩道橋事故の影響かなと思ったんですわ。
 結局迂回路をゾロゾロ歩いてルミナリエの入り口まで着くまで25分くらいかかりましたかね。
 ええ、ルミナリエきれいでしたよ。
 光の回廊です。
 そして一月もしないうちに、また「あの日」が巡ってくるんです。

 ルミナリエ1
 ルミナリエ2
 ルミナリエ3


2002年12月27日(金)
 今日は御用納めの日である。
 夕方に恒例のカレンダー抽選会があった。
 狙っているのはIBMの卓上カレンダーである。
 IBMの卓上カレンダーは、前月と翌月の暦、さらにジュリアンデートも記載されていて使い勝手がよいからだ。
 とくにジュリアンデートを記載しているカレンダーは殆どないから貴重である。
 どうしても無ければ自作することも可能ではあるがな。
 くじ引きの結果どこぞの卓上カレンダーが当たった。
 抽選が一通り終わったあと、まだいくつかのカレンダーや手中手帳が余っている。
 おや、IBM卓上カレンダーね3つ余っているぞ。
 すると、希望者には交換してくれるという。
 ちなみに壁掛けカレンダーと手帳は追加でもらってよいということであった。
 しかし狙っているのは卓上カレンダーである。
 IBM卓上カレンダーは人気があるようで、残り2つに対して交換希望者が5人現れ、ジャンケンで決めることになった。
 結果は、見事勝ち残りIBM卓上カレンダーを手にした。


2002年12月31日(火)
 大晦日なんで年越しソバを予約していたんだがよ、19時の約束なのに19時半になっても持ってきやがらねぇ。
 ソバ屋に聞いたら予約を忘れてたワケじゃねぇらしい。
 それで20時過ぎても音沙汰無しだぜ。
 もう一度ソバ屋に行って聞くと「ちょっと遅れてます」だと。
 ちょっとじゃねぇってぇの。
 どうせ店で食ってく客の分を先に作っていって後回しにしたんだろうけどな、こっちは予約してたんだから時間になったらこなせっての。
 こちとら年イチの客じゃねぇし、ソバ屋のほうでも顔知ってるんだ。
 要するにウチをナメてるってこったな。
 それでもう要らんと言ってきた。
 ○○源は今日に限らず来年以降も要らんわ。

 NHK教育テレビの第九演奏会を視聴していた。
 第4楽章のところでふと鼻歌が浮かんだぜ。
    碧の眼をもつ小さな黒豹
    日々是猛獣ウチのコやまと
    甘えた声出しスリスリしても
    威風堂々街を闊歩

 やはりやまとがいないと寂しいぜ。