To a you side 外伝H みにくいアヒル(後編)


※この物語はリクエストによる架空未来の一つです。
To a you side本編の可能性の一つとしてお楽しみ下さい。






「おはようございます、皆様」



ガタタタターーーーーーン!!



 爽やかな朝の挨拶を礼儀正しく行った瞬間、激しい雪崩が沸き起こる。

持っていた書類を落とす者、デスクに頭をぶつける者、転んで倒れる者、空間モニターを点滅させる者――

その場に居た誰もが皆魂の抜けた顔をして、室内に入った俺を見やる。



『……何、この反応?』

「俺が聞きたい」



 機動六課『ロングアーチ』情報管理システムルーム。

ロングアーチに所属する優秀なスタッフや、他部隊員が事務作業を行う為の部屋で、最新技術が搭載されたコンピューターが利用可能。

雑用係という役職名すら与えられない六課の御荷物でも、コンピューターを使う権限は与えられている。

肉体作業ばかりが、時空管理局の仕事ではない。

むしろ管理局内の膨大な情報を取り扱うロングアーチの仕事を手伝う作業が、比較的多いのが現状だ。

清掃作業を終えて着替えた後、定刻通り出勤した俺に何と冷たい反応だろうか?

挨拶は人間関係の基本だと、親から教わらなかったのか――

不思議そうに室内を見渡すはやてに、俺はやや投げやりだった。

何だかんだ言いながらも、皆のこの反応はある程度予想はついていた。

憮然と睨み付けると、金縛りが解けたように慌てて眼鏡をかけた女性が駆け寄る。


「し、師匠!? ど、どどどど、どうしたんですか!?
今、世にも奇妙な言動が師匠の口から飛び出したように聞こえたんですけど!?」

「奇妙な言動なのは貴様だ!」

「はぅっ!?」


 条件反射的に叩き倒すと、軽い悲鳴を上げて眼鏡の女が倒れた。

――機動六課通信主任兼メカニック、シャリオ・フィニーノ。

クロノ達には及ばないが、長い付き合いとなっている俺の後輩。

デバイスの製造や分析が専門分野で、高度な技術と解析力を持つ才女。

技術畑特有の奇妙な趣味があって、俺が掲げる祖国の文化に興味津々の女の子。

面白半分に古典や近代小説――日本の古き歴史を紐解いてやると、すっかりのめりこんでしまった。

ミッドチルダの新暦に新たな文化を継承する俺を、シャーリーは心の底から尊敬しているようだ。

階級や役職に全くこだわらない、変わった眼鏡である。

シャーリーは頭を擦りながら、涙目で俺を見上げる。


「だってだって、師匠が朝の挨拶するなんて……

これはもう世界崩壊の前触れとしか――ふぎゅっ!?」

「はっはっは、やだなもう……朝から冗談がきついですよ、通信主任。
ね、皆さん?」


 シャーリーの後頭部を踵で踏みつけながら、にこやかに周りに呼びかける。

――何故、目を逸らす?

一部始終を見ていた部隊長は、剣呑な眼差しで俺を見つめた。


『……良介が普段どんな勤務態度か、今のでよーく分かったわ』

「さ、さーて! 僕、仕事しようかな!」


 後頭部を踏まれて床に沈没しているシャーリーを寛大に解放してやって、俺は自分の机へ向かう。

結構誤解されがちだが、前線が基本の武装局員でも事務作業は比較的多い。

広い次元世界に日夜事件が絶える事はないが、人民に被害が出る大事件は流石に頻繁には起こらない。

今朝方手伝いに来た小鳥を含めた新人達、隊長達用の席もこの部屋にはある。


今頃新人達の訓練中で――空席となっている、高町なのはの席も。



「……何だよ」

「ツーン、です」



 先程からご機嫌斜めの勤務評価役。

ぶすっと頬を膨らませて、空曹長の分際で大人気なくそっぽを向いている。

先程のなのは隊長への態度が気に入らなかったらしい。

ミヤは根が純真で素直なので、憎しみや怒りを腹に溜める事は少ない。

言いたい事はきちんと相手に言い、相互の理解に努める清い女の子だ。

――きっと俺の態度は組織の一員としては正しいと、認めているのだろう。

だからこそ強く言えず、拗ねてしまっている。

何を言ったって聞きはしないだろうし、俺もなのは達への態度を変えるつもりはない。

過去は過去。

かつての仲間達はもう立派な大人なのだ……俺が如何こう言う必要もない。

なのはの席を素通りして、俺は自分の机に向か――


――あ。


「やべっ、忘れてた!?」

「ふぇ……?」


 俺は慌てて走り、自分の机へ大急ぎで向かう。

きょとんとした顔でチビスケが追尾するより先に、自分の机に立てている物を掴む。

颯爽と引き出しを開けて奥へ放り込み――バタンと、閉める。


ふう、やばかった……



『――良介、引き出しに今何を隠したん?』



 怪訝な顔をして、ミヤと意識を共有するはやてが空間モニターを展開する。

異世界の発達した科学技術は、鮮明な映像で俺の眼前に美人部隊長の顔を映し出す。

俺は咳払いをして、表情を改めた。


「仕事の書類だよ。
大切な資料だから、机の中に保管しておいたんだ」


 見たか、この生真面目な社会人対応。

遊び歩いていた頃とは年季が違うぜ。

隠し事をする理由も、社会の一員として至極真っ当になるのさ。


『じゃあ見せて』

「重要度の高い書類だから駄目」



 愚か者め。

恋人にだって見せられない事はあるのだよ、社会には。

男の社会に口出しは困るぜ、ふっふっふ。


『機動六課課長として命令します。見せて下さい』


 お忘れかもしれませんが――男社会の上官ですよ、この方。

……ぬああああああ、しまった!?

上の人の許可を貰って下さいと言っても、はやてがこの隊舎で一番上なので許可は出し放題である。

四等陸士の秘匿権限なんぞ、二等陸佐の前では紙屑同然だった。


『書類やろ? 早く見せて』

「い、いや、大したものじゃないから――」

『重要な書類って今、はっきり言うたやんか。見せて』


 頑なに拒む俺に、はやての表情がだんだん険悪になっていく。

ミヤなんて顔を青褪めて、遠く離れて飛び去っていく。

や、野郎――この薄情者め!


「な、何でそんなにこだわるんだ!? 
机の上に小物くらい、誰でも置いてるだろ!」

『小物やったら別に気にせえへんけど――


――写真立てやったら話は別や』


   め、目がいいですね、部隊長殿……

一瞬の攻防だった筈だが、刹那の瞬間を捉えていたらしい。

今日の監査は今朝急におねだりされた事だからな……対処しようがなかった。

見間違い説を主張したいが、時間の無駄なので止めておく。

自分の目で見た事を疑う人間に、部隊長は務まらない。


「べ、別に普通の写真立てだぞ! 飾りッ気のない安物だ」

『わたしが気にしているのは、写真の中身。


――誰が写ってるん?』


 き、気にしますよね、やっぱり……


「俺一人だよ」

『――で、誰が写ってるん?』


 無視されました、グスン。

俺は髪の毛を掻き上げて、愛する女性に信頼ある笑みを向ける。


「勿論お前に決まってるだろ、はやて。それ以外に誰がいるって言うのさ」



『……ふーん……そうなんや……


わたしじゃない・・・・・・・んや……



嘘まで言うて……見せられへん人なんや……』



 ぶ、部隊長! 可憐な表情が消えていますよ、表情が!?

映像の向こうで身体を震わせて、俯いたままのはやての顔が陰影でよく見えない。

地獄の底から這い上がるような声は、ゾッとするほど冷たい。


「あ、あの……はやて、さん……?」

『――隊員のプライベートや、無理強いするつもりはない。
良介がどうしても見せられへんのやったら、仕方ないかなとも思った。


せやけど――何で、わたしが写ってるなんて嘘をつくん?


軽はずみな嘘で私がどれほど傷付くか、良介は何にも分かってないやろ』


 唇を噛み締めて顔を上げるはやての表情には、深い悲しみがあった。

信じていた人間に裏切られた――悲哀に満ちた孤独。

雨の中捨てられた子犬のように、寂しさに震わせた怒りの声を上げている。

ま、まずい、これは非常にまずい!?


映画やドラマで名場面となる――破局の前触れである。



「待てって!? 
しゃ、写真に写っているのはお前で、ほ、他の女の子なんて――」

『……もうええ、分かった』



 容赦なくぶった切られる空間モニター、恐ろしいほど静まり返る情報管理システムルーム。

室内にいる誰もが俺を気の毒そうに見つめて、来るべき嵐に備えて自分の席に迅速に隠れようとしていた。


この危機意識の高さ、流石は将来のエリート軍団。


無駄な事に感心しながら、俺は机の引き出しを開けて写真立てを懐へ。

迅速かつ的確な行動が要求される職務である。

制服に着替えている暇はない。

作業着のまま自転車の鍵を準備して、周囲が見守る中爽やかに手を上げる。


「皆さん、後はよろしく」

『逃げる気だーーー!?』


 ロングアーチ並びに機動六課スタッフ方の快い御返事を頂けた事に感謝。

俺の長年磨き上げた戦闘本能が、逃走を全力で支援している。

怒りと悲しみに狂ったはやてに、説得を試みるのはまず無理だろう。


何より――写真立てを此処で、追及されるのはやばい。


責任ある立場なので実力行使に出る事はないが、私情の縺れが生み出す誤解は解消が困難だ。

ほとぼりが冷めるまで、逃げるに限る。

――どうせ四等陸士の雑用係一人、持ち場を離れたところで困る人間は居ない。

緊急事態が起きても、用務員の出番なんぞ無い。


「アルト、ルキノ。
部隊長殿が御機嫌斜めで間もなくやって来るから、適当に宥めてくれ」

「ちょ、ちょっと待って下さい!?」

「私たちに押し付けないでくださいよー!?」


 歓喜の悲鳴を上げて、様子を見守っていた二人が立ち上がる。


整備員兼通信スタッフのアルト・クラエッタに、経理事務兼通信スタッフのルキノ・リリエ。


魔法能力はない内勤組で、ずば抜けた事務能力と情報処理能力を買われて六課に推薦された二人である。

小柄で可愛らしく、やや内気だが笑顔の似合う仲良しコンビ。

事務仕事で顔を合わせる事が多く、自然に手頃な話し相手となった。

十歳以上年下の上司で、階級も二つ上だが二人は俺のような用務員で気軽に接してくれる。

俺は幼い知人達の肩にそれぞれ手を置いて、社会人の常識を重々しく語った。


「こんな事を頼むのは、俺も心苦しい……!

でも――部下を守るのが、上司の務め!!」

「役職上は確かにそうなってますけど、わたし達の先輩じゃないですか!」

「怒った八神隊長を、あたし達が止めるのは無理ですよー!」


 うーむ、根性の無い二人である。

こういう緊急事態でこそ人間性が試されるというのに。

機動六課の未来を支える若者がひ弱では、この先が心配だぜ。



「この前だって交代任務代わってやっただろ?
お前らの残していった書類仕事、徹夜で片付けたんだぞ」

「あれだけの量を一晩で地道に片付けた先輩の集中力は、確かに尊敬してますけど!」

「――というより、推薦しますからロングアーチに入って下さいよ! 
毎日、すっごく忙しいんですよ!」

「馬鹿野郎! 四等陸士にそんな上等な任務が務まるかー!
はやてが書類確認すれば、適当に手を抜いたのがばれるだろ!」

「堂々と情けない事を威張らないで下さい!」

「手を抜いてたんですか、あれ!?」

「頼むよ、な? 
お前らの好きな翠屋のケーキ、また夜にこっそり差し入れに持って行ってやるから」

「その優しさを八神隊長に向けてください! あ、わたしにもお願いしますね」

「ずるい! あたしにもちょっぴりお願いしたいなーなんて、えへへ」

「現金な奴らだな、おい!? グリフィスには内緒にしとけよ、うるさいから」

「分かってますって。

――はっ、引き受ける流れになってる!?」

「せ、せ、先輩! あ、あたし達は決して悪の誘惑に屈しませんよ!」

「思いっきり尻尾振りかけたじゃねえか! 

――しょうがねえ、今日一日ミヤをナデナデする権利を与えよう」


「ええええええ〜〜〜!?」


 何やらこっそり部屋を出て行こうとしている小人が、驚愕の悲鳴を上げて戻ってくる。

騒ぎのドサクサに逃げようなんぞ虫が良すぎるぜ、スモールガール。

逃走犬ザフィーラ並に危機認識レベルの高いミヤだが、俺の監査任務についていたのが仇になったな。

ミヤは不満と怒りで顔を真っ赤にして、両手を振り回して大声を上げる。


「ミヤを勝手に人身売買しないで下さい! ミヤは貴方の上司なんですよー!」

「上司が部下をおいて逃げるな!」

「はやてちゃんを怒らせたのは貴方じゃないですか!? 
問題をすり替えないで下さい!

もういいです! 
どうせ貴方の勤務評価は最低なんですから、御仕事は終わり――きゃっ!?」


 理屈を吐いて逃げようとするチビ曹長を、背後から抱き締める白い手。

小さくても綺麗な青空の髪に、アルトは目を細めてスリスリする。


「はぁ〜、やっぱり可愛いです! う〜、この抱き心地」

「は、離して下さい!? ミヤは上司なんですよ!」


 お前、今日それしか言ってないからな。


「ロングアーチスタッフ同士仲良くしようって、言って下さったじゃないですか〜!」

「ミ、ミヤはまだ御仕事が……あーーー!

リョウスケ、何処に行くですか!? ミヤを、ミヤを置いて行かないで下さい!」


 貴様こそさっき逃げようとしたくせに。

裏切った上司を助ける義務なんぞ欠片も無い。

俺は愛する相棒を涙で振り切った。

頬を緩めまくって、ラブリーな顔でミヤを抱き締める二人は――俺を見て、笑顔で頷く。

よく見れば、ルーム内のスタッフ達も仕方ないとばかりに苦笑。

シャーリーは師匠頑張れと言わんばかりに、人懐っこい笑顔で手を振っている。


面白がっているのか、応援してくれているのか――何にせよ、最高の連中だ。


頼もしいスタッフ達に全てを託して、俺は部屋を出て行く。

時空管理局最強の恐妻を相手に、文字通りの鬼ごっこが始まった――















時空管理局・陸上警備隊『第108部隊』

機動六課には及ばないが、優秀な人材が揃っている老舗の部隊である。

湾岸地区にある機動六課隊舎とは対称的に、陸士108部隊隊舎は緑の多い山間に建設されている。

海と山――今では俺の故郷となった海鳴町を思い出す。

優しい自然に恵まれたあの町で、俺は毎日よく走り回ったものだった。


「それで鍛えられたって訳か、てめえの不死身の体力は」

「心外だな……
折角わざわざ自転車を漕いで、挨拶に足を運んだってのに」

「どの口が言いやがる、この体力馬鹿。
機動六課のある港湾地区から、ミッドチルダ西部にあるこの区域までどれだけ離れてると思ってるんだ?
挨拶回りって距離じゃねえぞ、たく……」


 陸上警備隊第108部隊長、ゲンヤ・ナカジマ。


時空管理局員となった二人の年頃の娘を持つ親父だが、些かも年老いた様子を見せない。

白髪の目立つ容貌に、鍛えられた現役の肉体。

仕事には威厳ある部隊長として厳しく、同時に緊急時にさえ部下を安心させる気さくな面もある。

人の上に立つ人物の見本のような人で、はやてが心から尊敬する男だった。


「六課には御立派なヘリや車があるのに、俺には使わせてくれないんだぜ?

陸上警備隊第108部隊長に挨拶するのに、改造したマイチャリンコで運転――

酷い話だと思わないか、おっさん」

「仕事を放り出して遊びに来る様な奴に出す乗り物はねえんだよ。
――それでも毎回自転車で山道走るお前には、多少尊敬するけどな」

「愛する部下から上司への、信頼度の高さだと思ってくれ」

「八神に言われれば素直に嬉しいが……お前に言われると嘘臭いのはどうしてだろうな」

「ひでえっ!? 
そんな冷たい上司には――ほい、王手飛車取り」

「げっ!? こ、この野郎……!」


 ――機動六課隊舎から逃げ出した俺が向かったのは、ここ第108部隊隊舎。

俺やはやてが昔御世話になった上司のおっさんの元へ、俺は挨拶がてらに潜伏している。

当然だが研修生以下の四等陸士が、部隊長に対して生意気な態度を取るなど絶対に許されない。

上下あれど、階級差に寛大なゲンヤのおっさんだから許されている。

おっさんの先祖はどうやら俺と同じ祖国の出身者らしく、ゲンヤの風貌も日本人に近い。

柔軟な貫禄は多くの部下に慕われる要因になっているようだ。

俺とおっさんも上司・部下の関係を弁えつつも、隊長室で将棋なんぞやってたりする。

サボリだの何だの言いながら――将棋の相手を嬉々と強制するこのおっさんが、ちょっとばかり好きだ。

飛車を取られて苦々しく舌打ちをしながら、おっさんは将棋盤に目を落としたまま口を開く。


「――それで。
今度は八神とどんな理由で喧嘩したんだ?」

「ぶっ!? と、突然何を言い出すんだよ!
俺は愛する上司の顔が見たくて、こうして――」

「わざわざ美味しい日本茶と羊羹を手土産に来た、てか?
お前がそんな気を利かすタマか。

大方、後ろめたい理由で逃げて来たんだろ」


 ……はやての敬愛する師匠だけあって、なかなか鋭いお人だった。

訪問理由を知っていながら、美味そうに俺が持参したお茶を啜るのがむかつく。

ギンガに切って貰った羊羹を口に運びながら、俺は返答する。


「……別に、大した理由じゃねえよ」

「男には大した事ねえ理由でも、女にとっては大切だったりするんだぜ。
誤解が誤解を呼んで、決定的にすれ違う――

特に、お前さんはどうにも不器用なところがあるからな。
上司に舐めた口叩くくせに、愛する女にはからっきしになっちまう」


 将棋盤に目を落としながら、おっさんは人間関係の教訓を言い渡す。

……案外、奥さんとの経験なのかもしれない。

おっさんが進めた一手の先を考えながら、


「あんたも、はやてにはとことん甘いよな。
俺を連れてはやてが交際報告に行った時も、俺にばっか色々言いやがって」

「当然だろ。
目をかけている部下が、よりにもよってお前みたいな男と付き合うんだ。
説教の一つでもするさ」

「……エリートコースまっしぐらの上級キャリアが、俺のようなぺーぺーと付き合うんだ。
心配して当然って事かよ」


 次の手を指そうとしたおっさんの手が、止まる。

顔を上げて俺を見る瞳は――恐ろしいほど真剣だった。

俺も俺でも、真正面から受け止める。


――おっさんの言いたい事なんぞ、簡単に予想出来る。


「……宮本。

前々から思ったが、どうして今の階級に甘んじている?

魔力だけが、魔導師の――時空管理局員の全てじゃねえ。
八神には追い抜かれちまったが、魔力資質のねえ俺でもこうして部隊を指揮する立場になってる。

八神との階級差を気にしてるなら、尚更努力するべきじゃねえのか」


 魔導師ランクや階級は、何も本人の魔力資質だけで判断はされない。

無論現在の時空管理局の主力が純粋魔力を利用した魔法である以上、力の強い魔導師が必要とされているのは事実だ。

とはいえ、人間の価値は魔力だけではない。

特に魔導師達の中では、さほど階級は重要視されない。

公平にその人の価値を判断する為に、階級や役職に適した試験や資格が用意されているのだ。


――ギンガも、顔を合わせる度に俺を説得している。


練習で良ければ付き合う、推薦が必要なら力になる――等など、時間さえあればわざわざ様子を見に来る。

機動六課の――時空管理局のお荷物とされている俺を、いたく心配して。

俺は静かにお茶を啜った。


「……あんたも、あんたの娘も買い被りすぎだ。
魔力だけの問題じゃない。

俺には本当に、何の才能もねえのさ」

「ギンガと俺を見縊ってるのか、てめえ。
その汚ねえ作業着の下に隠れてる身体見りゃあ、一発で分かる。

ひ弱な奴が、湾岸地区から自転車漕いで此処まで来れる訳ねえよ」

「身体なんて、誰でも鍛えられるさ。
あんたの娘さんだって、女らしく魅力的に引き締まった身体で俺を容赦なくぶっ飛ばすぞ」

「真剣に相手しなかっただろ、お前。
ギンガが自分では役不足なのかって、酷く落ち込んだんだぞ。

八神にギンガ――てめえはつくづく、俺の大事なもんを傷つけやがるな。

何か、ムカついてきたぞ……
スバルにも妙な事、吹き込んでねえだろうな!」

「意外に親馬鹿か、あんた!?」


 もっとも――あんたのもう一つの娘さんなら、既に懐柔成功した後さ。

くっくっく、あの女の子はもう虜だぜ――


――アイスに。


おっさんは苛立ちをお茶を飲んで抑えて、俺に真正面から向き直る。


「六課に居辛いならウチに来たっていいんだぜ、宮本。
お前なら、陸戦魔導師で一から充分やっていけるだろ。

ギンガだって喜んで、お前を指導するさ」

「……」


 気持ちは、正直嬉しい――それは本当だ。

俺のようなはみ出し者を引き取ってくれるのは、はやてかおっさんくらいだろう。

ギンガもいる、気心知れた連中も居る。

此処へこうして勤務中に遊びに来ても、連中は喜んで迎えてくれる。

任務は当然厳しいが――雑用よりはやり甲斐はあるだろう。


俺を表舞台に出れるように、応援してくれるギンガ。
俺を活躍出来る場所に出れるように、温情をかけてくれるゲンヤ。

元気印のスバルの笑顔にも、消耗するだけの家畜の日々に潤いを与えてくれる。

良き家族に巡り会えたと、本当に思ってる――でも。


「気持ちは嬉しいけど……

俺はティアナのような努力も出来ねえし、スバルのような根性もねえからな。
ハードな陸戦魔導師の任務には、とてもついていけねえよ。

今の楽な雑務が俺の性に合ってる」

「お前、やっぱり――

――すまねえ、余計な質問だな」


 俺の返答に何かを察したのか、ゲンヤは苦笑して首を振った。

やっぱり――このおっさんが、俺は好きだった。

こういう人間が父親だったら、俺の人生も変わっていたかもしれない。

俺は笑い返して、自分の手の中の駒を鳴らす。


「それ、偉大なる部隊長を超える人間が部下に居たら迷惑だろ?

――うふ、王手」

「なっ!? くっ、こいつは……」


 辛く厳しい任務でも顔色一つ変えない男が、盤上を見て苦渋を見せる。

必死の形相で考え込んでいるが、次なる手段を講じられずに苦悩していた。


「おっさん、待ったはなしだぞ。勿論」

「ば、馬鹿野郎! そんなみっともねえ真似が出来るか!」

「じゃあ、早く次どうぞ」

「うぐぐ……」


   ――素人でも分かる、詰みの形。


この局面を覆すのは、最早不可能だった。

後はこの部隊長殿の惨めな敗北宣言を、期待して待つばかりである。

負けず嫌いなおっさんでも覆せまい。

余裕の心境で温かく見守っていると――おっさんは急に立ち上がる。

……?

怪訝に見つめていると、部隊長は勝負の最中に空間モニターを立ち上げた。


通信先は――八神、はやて!?



「おう、八神か。俺だ。

今俺のところに、お前の旦那が来ていてな――」

「汚いぞ、アンタ!?」


 慌てて立ち上がる。

映像の向こう側では、リボンの似合う可愛い恋人がしきりに恐縮して頭を下げていた。

おっさんは寛大に対応しながら――俺を見て、ニヤッと笑う。


「坊主、残念だが勝負の続きはまた今度だな。
今すぐ、八神がお前を迎えに来るそうだ」

「アンタって人はーーーー!!」


 それが部隊長のやる事か!?

当然、はやてが今此処に来れば問答無用で俺が殺される。

このクソ親父が、ある事ない事言いふらす可能性だってある。

うわーん、今朝までのはやてだったら遠慮なく呼んでノロケてやれるのに。

俺は速攻ソファーから立ち上がって、脱兎の如く逃げ出す。


「宮本。――今度は八神と二人で来い。
あいつの幸せそうな顔が、俺は好きなんだからよ」

「二度と来るか、こんな所!?


それに――アイツの笑顔は、俺一人のもんだ!
誰にも渡せねえし、見せねえよ!」


 相手の返答を待たず、俺は隊長室から飛び出す。

自転車を回収して飛び出しても、潜伏先がばれた以上追いつかれる。

この際思い切って、自転車の行動範囲を飛び出す必要があるかもしれない――















「それでわざわざ僕の所にまで逃げて来たのか、君は」

「新造艦に自転車で乗り込んでくる行動力には、素直に敬服するよ」

「……お褒めの言葉、ありがとよ」


 わざわざ出迎えてくれた野郎二名に、俺は自転車を引き摺りながら呻いた。

XV級次元空間航行艦船『クラウディア』。

ミッドチルダの広大な地上から無限の次元空間へと逃走経路を変更し、俺は最新型の次元空間航行艦船に今潜伏している。

新型の艤装がなされた黒塗りの大型艦船は、俺の中に眠る子供のような好奇心を刺激する。

広大な艦内を歩き、高度な技術が搭載された施設を見る度に、俺をSF映画の世界へと導いてくれる。

十年前では想像すら出来なかった未知の世界が、目の前に広がっていた。

本当に我が未来とはいえ、こうまで針路変更するとは予想もつかない。


子供なら一度は憧れる宇宙船に乗れて――若き艦長と、こうして知り合ったのだから。


「六課設立以来久しく顔を合わせてなかったが……変わらないな、君は。
本局に自転車で乗り込んできた男がいると聞いて、すぐに君の顔を想像したよ」

「人が出来ない事に挑戦するのが、日本男児ってもんさ」

「……ゲートに無理やり自転車を突っ込んだそうじゃないですか。
もう少し建設的な事にチャレンジしてくれ、頼むから。
本局で騒ぎが起きる度に、上層部が僕に泣きつくんだぞ」


 目の前で頭を抱えている男が、『クラウディア』艦長クロノ・ハラオウン。

十年以上の付き合いとなる、俺にしては珍しい男の知人。

歳月は人を変えると言うが、十年間で身長が伸びて精悍な顔立ちになったクロノは立派な提督となっている。

本来四等陸士如きでは話し掛ける事すら恐れ多い相手だが、顔見知りゆえに許されていた。

新造艦を預かる艦長になっても変わらない黒服は、俺に昔を思い出させる。


――昔には決して戻れない、分かっているのに……


「まあいいじゃないか、クロノ君。彼の訪問は常に僕達に刺激を与えてくれる。
気苦労の多い艦長任務や、面倒の耐えない査察任務には憩いだよ」

「……この男を甘やかすとロクな結果にならないぞ、ヴェロッサ」


 黒の防護服のクロノとは対照的に、白いスーツを着た隣の男がヴェロッサ・アコース。

性格も真面目一辺倒なクロノとは違って、軽い口調と緩い態度が印象的な男である。

これで古代ベルカ式の使い手であり、局内でも相当のやり手の査察官なのだから侮れない。

この馴れ馴れしい態度に最初こそウンザリしていたが、いい加減慣れた。

今日も今日とて、聞かれたくない事を平気で尋ねて来やがる。


「結局喧嘩の原因は、今君が持ち歩いている写真だろ?
良かったら、僕に見せてくれないかな」


 クロノ達に保護を求めた早々に事情を聞かれて、仕方なく説明した。

将棋親父のようにはぐらかす事は、この二人には出来ない。


クロノにとって、ヴェロッサにとって――八神はやては特別な存在だから。


そして事情を話した途端、にこやかに手を差し出される始末。

俺はペシっと軽く払った。


「やなこった。何でお前に見せないといけないんだよ」

「はやては一応僕の妹分なんだよ。
大事な妹を泣かされて気にしない兄はいないさ。

まして、妹の恋人が他の女性と浮気をしているとあれば」

「誰が浮気なんぞするか!」

「怪しいな……何しろ、君は自分で思っているより女性に好かれ――

――わ、分かった、分かったから、君の握力で胸倉を掴まないでくれ!?」


 テーブル越しに身を乗り出して、ヴェロッサのアホ野郎を締めていた手を離してやる。

相変わらず、くだらねえ事言いやがって。


――八神はやて以上に佳い女なんて、次元世界の隅々まで探してもいねえよ。


付き合って何年も経ち、職場でも何度も顔を合わせて、同棲生活までしているが、一度たりとも不満を感じたことなど無い。

本当に、俺にはもったいない女だ。


「だが、その写真がはやての心を苦しめているのは事実だ。
お互い冷静になる為に距離を取る事も必要だとは思うが、いずれ明らかにしなければ解決しない。

話を聞く限り、僕としてもヴェロッサと同じ意見だ。

大切な友人を泣かせるならば、僕は君を許さない」


 上層部から一目置かれている提督の恫喝に、息を呑む。

クロノはどこまでも真剣だった。

出逢った頃はもう少し堅物だったのに、責任を背負う立場になって一皮向けた感じだ。

ヴェロッサも冗談めいた顔をしているが、その目は本気である。

二人は心からはやてを思い遣り――彼女の心を踏み躙ろうとする人間を、許さない。

俺は座ったまま、自分の両手を握り締めて俯く。


「アイツは本当に……良い友人に恵まれているな」

「君は彼女が選んだ――世界でたった一人の、人間なんだ。
その気持ちを軽んじる真似は止めてくれ」

「別にあいつの気持ちを軽く考えてた訳じゃねえ!
あいつに惚れられた事は、俺の人生の中で最大の幸運だと思ってるんだからよ。
はやてと一緒になって、ようやく――運命の女神に勝てた気がしたんだ。

……仕方ねえ、写真を見せてやるよ……

お前らだって、俺の立場になれば――この写真だけは見せられない筈だ!」


 懐に大切に隠し持っていた写真立てを出して、そのまま差し出す。

クロノは神妙に受け取り、真正面から写真を見る。

ヴェロッサも隣から覗き込むように写真を見て――そのまま固まる。

クロノもクロノで、写真に目を奪われていた。

俺はさっさと取り上げて、素早く懐に隠す。


「……わ、分かっただろ……? はやてには見せられない理由が」


 唖然とした顔で、二人とも神妙に頷いた。

あまつにさえ、僕達が悪かったと言わんばかりに頭まで下げる始末。

ほら見ろ、悲しむ恋人を泣く泣く放り出して逃げた俺の気持ちが分かるだろうに。

ショックから先に解放されたのが、ヴェロッサだった。


「ところでリョウスケ、僕達って――友達だよね?」

「誰が貴様のようなハリガネ頭・・・・・をダチにするか!
写真はやらんぞ。現像も許さん」

「お願いだよ〜! 僕にも、僕にも、彼女の写真を!」

「い・や・だ! この写真の女は、俺一人のもんだ!

焼き回しでも、お前の指紋を付けられるだけで腹が立つんだよ!」

「そこを何とか! クロノ君の奥さんの写真を進呈するから!」

「火種になるわ、ボケェ!?」

「妻の写真なんて持ってたのか!? 渡せ!」


 無意味な……あまりにも無意味な、乱闘。

大の大人が三人揃って、女の子の写真をめぐって殴って蹴飛ばし合う。

コーヒーカップが宙を舞い、用意されたケーキが顔面直撃。

飲み物を頭からぶっかけて、応接室の観葉植物を武器に暴れ回る。





つまらん階級差なんぞ一切合財忘れて、俺達は激しく喧嘩した――















『――少しは頭が冷えましたか、三人共』


 心を優しく包み込むような声が、突如頭上から舞い降りる。

ハリガネ頭を掴んでいた俺の手が緩み、俺の首を後ろから絞めていたクロノが慌てて離れる。

血反吐の混じった唾を吐いて立ち上がると、マウントポジションを取られていたハリガネがホッと息を吐いた。


「助かったよ、姉さんカリム。素晴らしいタイミングだった」


 血と汗とその他諸々で激しく乱雑した艦長室の中央に、空間モニターから一人の女性が映し出されている。

――聖王教会騎士、カリム・グラシア。

管理局にも名目上籍を置いているのだが、役職は時空管理局理事官――名目の分際で、俺より遥かに階級が上。

古代ベルカ式の稀有能力者で、才色兼備の美人騎士。

微笑みの似合う女性が、髪から服装までボサボサにした男三人の無様な姿を見て苦笑いするしかない。



『はやての事で大切な相談があるから、至急連絡が欲しいと言ったのは貴方よ』

「――おい、こら。
ちゃっかり連絡を取りやがったな、貴様!」

「ふふふ、敏腕査察官を甘く見ないで欲しいな」

「関係ないだろう、査察官は。――申し訳ない、騎士カリム。
見苦しい姿を見せてしまいました」

『羽目を外した貴方も素敵ですよ、クロノ提督』

「大体本当に素敵とか思ってんのか、この口先女め」

『口達者なお兄様リョウスケには、とても勝てません』


 ……孤独の剣士は常に寡黙だと言う事を知らないな、この西洋の騎士は。

とりあえず顔についたクリームが粘々して気持ち悪いので、拭っておく。

今日一日作業着で行動しているが、今回ほどありがたいと思った事はない。

こいつらは正装だからな、俺の勝ち。


『それで――はやてを泣かせたというのは本当ですか?』

「泣いてねえよ!? 

――か、悲しませたのは事実だけど……」


 金髪騎士を含めて、三人揃って俺を見て嘆息する。

クロノは先ほど俺がクラッシュしたテーブルを置き直しながら、確認を取る。


「君の事情は分かったし、写真も納得した。
騎士カリムには正式に後で事情を説明するとして――はやてと仲直りは出来そうなのか?」


 実に、痛いところをついてくる。

逃げ回ってばかりでは解決しないのは当然。

俺だってはやてと冷静に話し合える時間が欲しかっただけで、いつまでも逃げるつもりはなかった。

はやては今は責任ある大人だ、自分の感情をきちんと制御出来る。


「……話し辛いようなら、僕でよければ間に入るよ」

『関係がこじれるようならば、私からも話してみます』


 ヴェロッサは気障な笑みを、カリムは優しい微笑みを浮かべて申し出てくれた。

この二人を――はやてがどれほど大切に思っているか、知っている。

血の繋がった家族が居ない彼女にとって、二人は兄であり、姉だった。

そしてこの二人も――心からはやてを愛し、幸せを望んでいる。


俺は、首を振った。


「これは俺達二人の問題で、俺ははやての恋人だ。
俺自身でアイツを安心させないと、きっと駄目になると思う」


 俺が勝手に騒ぎを大きくしているだけの、痴話喧嘩だ。

この程度で二人の力を頼っているようでは、器が知れる。

俺の答えに二人は顔を見合わせて、満足げに頷きあった。


『もしここで私達の力を借りれば見損なうところでしたよ、お兄様リョウスケ

「僕達の大切な妹を奪ったんだ、せめて自分の力で幸せにして貰わないと」


 試しやがった……嫌な姉弟である。

周囲に愛されている女を恋人にするのは、本当に大変だった。

少しでも騒ぎを起こせば、皆に注目されるのだから。

クロノも安心したように息を吐いて、ふと真剣な顔をする。


「……ミヤモト。
出来ればはやての事だけではなく――


――フェイト達とも仲直りしてやってくれないか?」


 一瞬胸の奥が奇妙に軋んだが、それも一瞬だった。

動揺する間隔もだんだん短くなっている――

その内なのは達の事を誰かに指摘されても、心一つ揺れずにこう答えられるだろう。


「……何の話だ? 別に喧嘩なんかしてないぞ」

「君が機動六課に配属となって、なのは達の誰とも話さないそうじゃないか。
何故、距離を置く」

「職場ではちゃんと話してる。上司と部下のケジメはつけてるさ」

「昔の君は年齢や階級に関係なく、分け隔てなく誰とでも普通に接してきた。
社会に所属する一員としては問題はあるかもしれない。
時空管理局に所属するならば、尚の事だ。

だが、そんな自由な君を――皆が好きになったんだ。

僕やヴェロッサ、騎士カリムにはこうして話しているじゃないか」


 言い辛そうにしていたが、クロノは毅然と顔を上げて言った。


「先程の事もそうだ。
提督となった僕に、食べかけのケーキを投げつける男は君だけだ。
あんな楽しい喧嘩は、久しぶりだった。

君と意見が対立して、喧嘩ばかりしていた昔を思い出したよ……

なのはやフェイト達にも、同じ態度では望めないのか?
なのは達が何を求めているのか――分からない君ではないだろう」


 クロノの言いたい事はよく分かる。

機動六課に所属して、なのは達にすれ違う度に向けられる期待の眼差し――



なのはの表情は、俺と会う度に曇り出している。

フェイトには宿舎前で待ち伏せされて、無視するとその場に膝をついた。

ヴィータに呼び出しを受けて詰め寄られ、頭を下げて謝ると殴られた。

俺はただ謝り続け、無抵抗で殴られて――シャマルが泣きながら俺を庇い、ヴィータは血に濡れた拳を震わせて謝り続けた。

シグナムは何も言わない。

寡黙な剣士は毅然と、一途に待ち続けている――



「――昔には……戻れないんだ、もう。

俺は魔力の欠片もない、惨めな四等陸士。
なのは達は管理局の次世代を担うエース。

生まれた時から既に、俺とあいつらは別世界の存在なんだ……



それに、俺は――



――はやてを、選んだから……」


 ――俺には、はやてだけで精一杯。


大空を飛ぶ翼も、地上を照らす星の光も、どこまでも駆け抜ける強さもない。

血と汗と泥に濡れた剣は錆びて、誰かに使われるだけの道具と化した。

誇りは何一つ残らず、買われるだけの豚――


家畜なのだから。


『詳しい事情も知らず、浅はかな意見を述べる無礼を御許し下さい』


 吐き捨てた自虐に静寂が満ちる室内で、凛々しい騎士の声が響く。

乾き切った心に、女性の温かい気持ちを向けるように。


『先程――ケジメと仰いましたね。
それは時空管理局組織ではなく、過去に対するケジメではないのですか?

貴方ははやてを選んだ。

一人の女性を選んだ以上、他の女性の愛は受け入れられない。
だから貴方は――組織の論理を盾に、彼女達と距離を取る道を選んだ。
たとえ、どれほど嫌われても』


 カリムの話は続く。

どこまでも辛辣に、どこまでも真っ直ぐに。

――限りない、優しさを秘めて。


『そして自分の選んだ手段が、大切だった人達を傷付けている。

大事な仲間を選べず、悲しませている不甲斐ない自分――

一方でクロノ提督を含めて、表舞台で華々しく活躍している仲間達。
傷付けられた被害者は強く、傷付けた加害者は弱い。

その現実が、貴方の自信喪失に拍車をかけている』

「……」


 悔しいくらい、カリムの指摘は的を射ていた。

これほどの正論ならば、感情的に言い返したところで惨めになるだけだった。

――その通りだよ、畜生……

なのはやフェイト、シャマル達の想いなんて気付いていた。

はやてを恋人に選んだ時、身内には俺自身の口から交際宣言をした。

こんな俺を愛してくれた皆への最低限の義務だと思ったから。


それでも――結局、それは最低限でしかなくて……


どんな手段を取っても、俺はなのは達を傷付けてしまった。

情けない男だ。

命懸けで愛して暮れたアリサでさえ、俺は――


『そう御考えになられているならば、お兄様リョウスケは失礼ですが愚か者だと思います』


 は……?


「あちゃー、はっきり言っちゃったね。僕も同意見だけど」


 ハリガネ頭まで、苦笑気味に肩を落としている。

なっ――何だよ、人が真剣に悩んでいるのに!

騎士って連中は、他人の悩みを馬鹿にする権利を持っているとでも言うのか!?

すました顔のカリムに猛然と抗議しようと立ち上がると、横からクロノが肩を掴む。


「ミヤモト……昔から何度も注意しただろう?
君の短絡的な頭で複雑に考え過ぎると、必ず墓穴を掘る。

フェイトの事件で何度も後悔していたじゃないか」

「だ、だから――!

もう二度と大事な仲間を傷つけたくないから、俺は――!?」

「……昔の君ならば、絶対に言えなかった台詞だな。
その変化は喜ばしいが、君は相変わらず肝心な事を間違える。

自分で認めているじゃないか、なのは達は君より強いと――

そんな彼女達が、君にフラれて立ち上がれなくなるほど落ち込むでも言うのか。
君を思い慕うあまり、自暴自棄になるかもしれないとでも?
彼女達を馬鹿にするのもいい加減にしろ。

彼女達の失恋の傷を早く忘れさせる為に、距離を取ろうと考えた君の気持ちは男として分かる。
だが、君がまた彼女達を傷つけてどうするんだ。
失恋の傷の次は、拒絶された傷が生まれるだけだ」

「――っ!?」


 不意に、今日の朝挨拶をしたなのはの暗い顔が浮かぶ。

あれは……俺自身の態度が原因で……

そうするしかないと思ったから、そうした。


結果として――俺はまた、なのはを傷つけていた。


愕然とする俺に、ヴェロッサは瞳を細めて語りだす。


「君が……はやてを選んでくれた事は、心から感謝している。
君が決意として聞かせてくれた、はやてへの強い想いも素直に嬉しい。

はやては今……大変な重荷を背負っている。

レアなスキルや強力な魔法、人を使う高い権限や権力を持つって事は――人を孤独にしてしまうから。

実際、はやてを疎んでいる人間も多い。

必死な彼女を見ていると、身近で支えてやれない自分が歯痒い。

それはここにいるクロノ君や、カリムもそうだろう。


彼女の孤独を癒せるのは、君だけだ。


そして――あのエース達の心も。

君の前では、はやて達は普通の女の子になる。

これって凄い事なんだよ……? 他の誰にも出来る事じゃない。

胸を張れる事だと、僕は思う」


 ヴェロッサは誰に対しても軽い態度だが、それゆえにどこか冷めた面がある。

誰に対しても真剣ではなく、表面的な友好でしかないのが分かってしまうのだ。

そんな彼が今――熱意を持って話してくれている。

迷って足踏みしている俺の背中を、必死で押し出そうとしている。


そんな俺の手を引いてくれたのが、敬虔な騎士だった。


『今はまだ詳しく話せませんが――これから先、厳しい戦いが待っています。
時には辛く、逃げ出したくなるような悲劇が訪れるやも知れません。

騎士としてではなく、私個人の御願いでしかありませんが――


――彼女達を支えてあげてくれませんか?』


 聖王教会騎士団騎士カリム・グラシアが、四等陸士の俺に頭を下げている――

この事実は重い。

非公式とはいえ、前代未聞だろう。

俺如きでは重すぎる現実だった。


なのは達が今、何に巻き込まれているのか――俺は何も知らない。


知る権限はなく、戦いに出る彼女達の帰りを待つ事しか出来ない。

戦う牙を失って、餌を与えられる豚になったのだから。


「――支える相手は、なのは達だけでいいのか?」 

『……? どういう意味でしょうか?』


 そして豚は――凶暴な生き物なのだ。

貪欲に食い荒らす、野生の生き物。


あんな小娘上がりの連中だけでは、到底物足りない。


「残り三名ほど、受け付けているぜ? 心配性で過保護な騎士さんよ」


 カリム・グラシアにヴェロッサ・アコース、クロノ・ハラオウン。

他人の心配ばかりして、自分自身が背負う重さを無視する馬鹿達――

重い事件とか世界の危機とか、スケールのでかそうなヤマに関わるんだ。

重荷を背負うはやてを心配するこいつらは、誰が助けるんだよ。

人様に面倒を押し付けておいて、自分勝手にくたばるような奴は許さんぞ。

俺をやる気にさせたんだ、最後まで付き合ってもらうぜ。

自分勝手な恩返しに、よ。


カリムは映像の向こうで目を見開いて――クスクスと笑う。

珍しく、声を立てて。


『頼もしいですね。流石はお兄様リョウスケです。


では改めて――私たちも守って下さいますか?』


 俺は今こそ、錆びついた剣を誓いとして掲げる。

冷え切った心が、久しぶりに沸々と熱く煮立ってくる。

世界を救う孤独な天才達を、守るべく。



空は飛べなくても、地面を這い回ってでも生きる情念を胸に――















「おかえり」

「ああ、ただいま」


 その日――機動六課隊舎に帰ったのは、既に日が沈んだ後だった。

近くの部署までゲートで送ってもらい、自転車を漕いで戻る。



隊舎の正面玄関の階段に――八神はやてが座って待っていた。



顔を合わせて、まず笑顔で挨拶。

互いに、険悪な感情は微塵もない。

半日間以上離れていて寂しさがつのり、再会してただ相手を愛しく感じる。

次にはやてが拳を振り上げて、俺の頭を軽く殴った。


「今のはわたしから逃げた分と、皆さんに迷惑をかけた分。
ロングアーチの皆、リョウスケの事必死で庇ってくれてたよ。

わたしを想う気持ちは本当やから、信じてあげて欲しいって――」


 ――本当に、最高のスタッフ達である。

今度の差し入れは奮発しよう。

はやては俺の正面に立って、上気した顔で見上げる。

「嘘か本当かは、陸士108部隊の隊舎で聞けたけどな……
あほ……当然やんか。


――わたしの全ては、良介だけのものやよ」


 胸の中に飛び込んできたはやてを、俺はしっかりと抱き締める。

絶対に仲直り出来ると確信しても、こうして元通りになれた事がただ嬉しい。

両手に収まる小さな身体が柔らかく、ついばむ様にキスを繰り返す。


はやての唇が俺の唾液で染まり、瞳が快感に潤んでいく――


唇から垂れる涎を丁寧に拭って、俺は懐に手を伸ばす。


「……写真の事だけど」

「ええよ、もう。

――それより今晩も、わたしと一緒に……」

「俺が納得しないんだよ、この色ボケ」

「あいたっ!? もう、何でわたしが殴られるんよ……

他の人が写ってる写真なんて、わたしは見たく――えっ!?」


 受け取った写真立てを、はやては呆然とした顔で見つめている。

クロノやハリガネ頭さえ虜にした、一枚の写真。



――安らかな寝顔を浮かべている、八神はやての写真だった。



休日中、俺の肩に寄りかかって眠った彼女を撮った。

角度の調節が難しかったが、どんな偶然か素晴らしいアングルで成功した。

とても無防備な彼女の寝顔は――天使のように穏やかで、見る者の心を奪う。

俺は頬をポリポリ掻いて、素っ気無く言った。


「俺はちゃんと言ったぞ、お前の写真だって」

「で、でも……良介、見せたくなさそうで――
嘘までついて、その……」

「隠し撮りみたいなもんだからな、気まずかったんだよ。
あの場で説明したら恥ずかしいだけだからな。

お前が大人しく話を聞いてくれるまで待ってた」


 カリム、ヴェロッサ、クロノ――約束はちゃんと、守るぜ。

俺ははやての髪を梳きながら、きちんと言った。


「俺の一番大切なモノだよ、はやて」

「――っ、ぐすぅ……何や、わたしがアホみたいやんか……

いっぱい悩んで……良介、こんなに優しくて……」


 言葉なんて、もう必要はなかった。

俺ははやてが泣き止むまで髪を撫でてやり、夜の静かな世界に身を浸す。

やがて彼女が落ち着いた頃、多数の声が届く。

海上に建設された訓練場――なのは達が訓練を終えて戻ってきたのだろう。

はやてが心配そうに、俺を見つめる。


「……良介」

「大丈夫」


 一言だけそう言って、そっとはやてを離す。

いつもとは違う俺の態度に、はやては目をぱちくりさせている。


――やがて、賑やかな集団がやって来る。


泥だらけのシャツを着た新人達四人。

今日も一日懸命に訓練に励んだのか、疲れ果てていても充実した顔をしている。

四人を先導して歩くのはなのはにヴィータ、フェイト。

皆丁寧に四人に指導をしながら歩いているようだが――


――俺の顔を見た途端、表情が硬化する。


新人達は複雑そうな顔を、なのはやヴィータ・フェイトは辛そうに視線を落として。

俺は……こんな顔をさせてたんだな……

自覚はあったとはいえ、短絡的に考えた結果が目の前にあった。

なのはは明らかに無理をした笑顔で、俺に話しかける。


「お、お疲れ様です――宮本さん」

「おう。お疲れ、なのは」

「は、はい! 今日も一日……


……ふぇっ、なの……は?」


 ぽかーんとした顔をするなのは。

俺はかまわず、正面玄関を親指で指差す。


「あの辺は俺様が朝掃除した場所だから、決して近づかないように。
つーか、お前は進入禁止」

「え、あ、う……ちょ、ちょっと待って下さい!?

あの、宮本さん……? あいたっ!」

「キモい、即刻止めろ。
おにーちゃんは卒業だから、前みたいに兄さんと呼べ」


 殴られた頭を押さえたまま……なのはの瞳が潤んでいく。

新人達の手前必死で堪えているが、たとえようのない重い雫が頬を一筋濡らす。


「呼んで……いいんですか……? 兄さんって」

「俺が許可すると言ってるんだ。妹のお前は常にハイ、だろ? 
管理局の階級如きで、兄を超えられると思うなよ」

「――っ、はい……はい!」


 必死でコクコク頷くなのはは――昔のままだった。


はは……何で、変わったなんて思ったんだ……


惨めな自分が見せていたくだらん幻想に、俺は打ちのめされた。

愚か者だと断じられて当然だった。

俺は笑って、兄妹の懐かしい触れ合いに愕然としているフェイトやヴィータに声をかける。

昔のように、気安く――


「こっちも今日はこれで仕事が終わりだから、一緒に飯でも食うか?
あ、でもフェイトはともかく、ヴィータはがっつくからな……


食いしん坊の親分を持って、紳士な子分の俺は恥ずかしいぜ」


 親分――そのキーワードに、ヴィータはクシャっと顔を歪ませる。

そのまま手に持っていたアイゼンを振り回――って、うおーい!?


「何で殴りかかるんだ、てめえは!」

「うるせー!! 畜生、散々アタシを焦らしやがってぇぇぇぇ!!

お前はもう絶対に離さねえからな!

たとえはやてと恋人になっても、お前は一生アタシの子分だーーー!!」

「殴りかかる理由になってねえだろ、それ!?」

「そうだよ、ヴィータ! リョウスケはわたしの大切な友達なんだから!」

「その宣言も意味分からねえよ!?」

「兄さん、兄さん! 久しぶりに一緒にご飯食べませんか!」

「だったら、こいつら追い払えーーーー!」


 突然始まった追走劇に、新人達は唖然呆然。

――何やら一人のガンマンがアイゼンを回避し続ける俺に、やっぱり……などと唸っているがそれどころではない。

その新人達の後ろで穏やかに見守るはやてだけが、嬉しげに笑っている。



――戻ってきた、賑やかな日々。



当たり前の一日はこれで終わり。

飼い慣らされた豚は鎖を解いて、一歩だけ小屋の外へ飛び出した。

俺は醜いアヒルであり、豚――大空を飛ぶ真っ白な翼を持たない。


ただ、食べるだけだ。


絶望も、希望も、過去も、現実も、未来も何もかも受け入れて――飲み込んで。

綺麗に消化していけばいいさ。





美味しい御飯を腹いっぱい食べて、明日も元気に頑張ろう。

愛する飼い主と共に――



















































































<END>







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