秋人が海鳴市へとやって来たのは、今から数年前にさかのぼる。
そして高町家の面々と出会ったのも、今から数年前――
単身日本へと帰郷した秋人は、ヴィンセントが用意したという借家の前でボーっと立ち尽くしていた。
その視線は虚ろで家には全く向いておらず、ここまでの道のりを思い出しているようであった。
ここまで辿り着くのには少し苦労した。
何せ数年ぶりの日本。
しかも日本を発った時の記憶はおぼろげで、どうやって飛行機に乗ったのかも覚えておらず、出入国手続きなどはヴィンセントがすべて行っていたお陰で自分でしたことが
なかったので、入国審査の時には訳が分からず混乱したのは記憶に新しい嫌な思い出だ。
空港からの駅も複雑で、どっちに行っていいか分からず立ち往生したりもした。
だがアメリカとは違い、電車が時間通りに来たのには純粋に驚いた。
しかし電車を乗り間違えて矢後市という全く知らない土地に行ってしまった時にはどうしたものかと真剣に悩んだりもした。
幸い矢後市と海鳴市は近かったので特に問題はなかったのだが。
秋人はここまでに至る記憶を辿るのをやめ、眼前にあるこれから住む予定の家へと視線を戻した。
目の前にある家は、中学生というまだ未成熟な子供がたった独りで住むには少し大きすぎるくらいの家だ。
本当にここだろうかと疑い表札を確認しようとするが、本来表札が存在する場所には表札があったのだろう痕跡だけが残っているだけ。
しかし地図によると確かにここに間違いない。
目印のマークがついた地図の隣には、武家屋敷のようなものが存在しているので大丈夫だろう。
しかし……。
「この差は何だ」
隣の武家屋敷はとても立派で、これから自分の住処となる家とは大違いだ。
何だが釈然としない気分になるのは仕方がないだろう。
それも当然。
これから自分の住処となる家は、いったい幾ら出してこの家を借りたのだろうか、と知りたくなるまでに相当傷んでいるの素人目にも分かったからだ。
門扉は長年の雨風にさらされたせいか錆びてガタガタしており、生垣塀は草が縦横無尽に伸びきっていて、手入れが全くされていないことがうかがえる。
よく見てみると壁のペンキがハゲているどころか破損している部分さえあるではないか。
ヴィンセントは現物を見てから借りたのだろうか?
いや、あの男のことだ。
きっとケチったに違いない。
「……まあ、屋根があるから良いか」
壊れている部分や生垣は暇を見て直せばいい、と判断し秋人は玄関に移動しヴィンセントから受け取っていた鍵をドアに差し込んだ。
いや、差しこもうとした。
しかし鍵はいくら角度を変えようと逆さまにしようとも鍵穴に入ってはくれない。
鍵は多少錆びてはいるがおかしいと思い、鍵穴と鍵の形を見比べてみるが、同じ形をしているのは間違いない。
だが、いくら何度やっても鍵穴には入らず、終にはポキっと音を立てて折れてしまった。
どうやら錆びすぎていたようだ。
そのせいで鍵穴に入らず、折れた。
そういうことだろう。
どうして鍵が入らなかったのかは納得できたが、これでは家に入れない。
仕方ない、とため息を吐きながら秋人はバッグをごそごそと漁りある物を取り出した。
針金。
一見どこにでもある普通の針金だ。
いや、一見しても二見しても、いくら見てもごく普通の針金だ。
実際、そこら辺にある普通の針金とどこも変わりはない。
秋人はその針金をぐいぐいと折り曲げ、ときおり鍵穴と見比べながらなおもぐいぐいと折り曲げた。
そして一分も経たずに完成。
簡易型ピッキング用具『針金の鍵』。
完成した針金の鍵をさっそく鍵穴に差し込み、針金から伝わってくる感触を確かめながら右回りに回すと――カチリ、という音がした。
ヴィンセントに教わった時は無駄な技術だと思っていたが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
だが、感謝などすると離れていようとも際限なく褒めろと言われそうなので敢えて言わない。
そんなことを考えながら苦笑していると、背後に気配があることに気がついた。
気配を消しているのだろう、微かに感じる程度だ。
察するに人間。
武芸者だろうか。
その気配を放っている人物はかなり近く、二メートルも離れてない場所からだ。
ここまで近くに近寄られてから気がつくとは、どうやら一つのことに熱中し過ぎたらしい。
悪い癖だ、とまたも苦笑していると、気配の主は気配を断つのをやめた。
秋人が気がついていると気づいたのだろう。
「あの……」
驚いたことに背後にいる人物は、声の感じから察するに自分とさほど変わらない歳の女の子だ。
だが自分のような人間がいるのだから、同じような歳でも不思議ではない。
「ここ、空き家ですよ」
ここが空き家だと知っているということは、近所に住んでいるのだろうか?
しかし、今日からここは紛れもなく自分の家だ、空き家などではない。
限りなくボロボロだが。
説明が面倒というのとあまり関わり合いになりたくないという理由から、秋人は振り向かずに背後の女の子に答えた。
「知り合いがこの家を借りた。だから俺が住むのに問題はない」
簡潔にそれだけを告げると、秋人はさっさと玄関の扉を開け家の中へと入り、勢いよく扉を閉めた。
「……ごほっ」
扉を勢いよく閉めたのは失敗だったかもしれない。
扉を閉めた時に生じた風によって、万年雪のように積もりに積もった埃が盛大に舞ってしまっていた。
光に照らされながら宙を舞っている埃はキラキラと輝き、さながらスターダストのようだ。
綺麗だ、と思う。
身体には限りなく悪いが。
とりあえず上がろうかと思うが、靴を履いたままだということを思い出した。
アメリカ生活が長かったせいか、どうにも日本の常識というものを忘れているらしい。
だが、靴を脱ぐ意味は果たしてあるのだろうか。
この汚れ様では靴を履いていようがいまいがあまり変わらないような気がしてきた。
むしろ靴下の方が汚れてしまうだろう。
そういうことで靴を履いたままリビングへと移動する。
「……」
リビングへとやって来て秋人は絶句した。
視線はリビング全体へと向けられているが、出来るだけ見ないようにしていた。
何故なら……、
「汚い……」
玄関……いや、外の景観からある程度想像はし、覚悟はしていたが、その想像の遥か上空を行く汚さだったからだ。
秋人の覚悟は脆くも崩れ去ったということになる。
動こうにも、足を置くスペースがテーブルだっただろう物によってない。
以前住んでいた住人の物だろう。
確認しなくても分かる。
何故なら、リビングから見渡せるキッチンに明らかに掃除をせずに家を発った形跡――つまりは生ゴミが散乱しているからだ。
その腐敗臭も凄まじく、鼻が鼻としての機能を果たしているのだろうかと疑いたくなるほどだ。
そしてそのゴミを漁る為に真昼間から顔を出して活動をしている黒い物体もあちらこちらに存在している。
一匹ならばそれほど恐怖感は高くないが、黒や茶色い生物が耳を澄まさなくても分かるほどにカサカサとひしめき合っている音が背筋を凍らせる。
もしRPGのようなコマンド選択肢があったのならば『逃げる』を全力で押したい。
だが、回り込まれてしまった。
戦うという選択肢はあるにはあるが、いかんせん人間の恐怖心、嫌悪感をかき立てるのには一枚も二枚も上手な相手だ。
さすがに何億年とほとんど姿を変えていないだけはある、と変なところで感心してしまった。
もしかしたら、こんなにも敵対心が存在するのは、この生物が我々ホモ・サピエンスを超越する生物だと本能で悟っているからかもしれない。
さて、どうするべきか。
「考える暇なんかないなっ」
行動選択肢を考えている間に、敵はこちらに向かい牙を剥き出しにし飛び掛かって来た。
その様は、正常な人間の思考を掻き毟るには充分すぎる。
手元にある武器は必要最低限の生活用具が入ったバッグのみ。
だが、これを武器にし戦いたくはない。
何せ敵は触れるとやけに柔らかくムニムニしており、身体に付着した油でヌルヌルでいて、雑菌バイ菌繁殖天国の超抜無敵生命体だ。
しかもその数は軽く十を超えている。
この数の数十倍の化け物と戦い、勝ち抜いたこともあるが……戦いたくはない。
戦ってなるものか。
そういうことで逃走を開始する。
しかし囲まれている為に退路はない。
では、どうするべきか。
「――ッ」
とっさに持っているバッグを窓に投げガラスを割り、外の風をリビングへと吹き込ませる。
奴らの弱点は風が苦手ということだ。
そのことを教えてくれたヴィンセントに感謝をしながらジャンプし、割った窓から外への脱出を成功させた。
「……ふぅ」
後ろを振り返ってみると、黒や茶色の物体がウゾウゾと外へ這い出して来ている。
正直に言おう。
気味が悪い。
奴らの弱点を何故か知っていたヴィンセントに疑問を抱きつつ、ホッと胸を撫で下ろす。
……思い返してみると、以前ヴィンセントと共に住んでいた部屋ではあの生物は見ていない。
ひょっとしたら……。
いや、色々と常識外れなヴィンセントではあるが、その考えはないだろう。
そう――あの生物と話し合いをして、秋人の目に映らない場所に隠れていてもらっていたなどとは。
「まさか、な……」
あり得ないことなのだが、決してあり得ないと断言できないのがそら恐ろしい。
しかし、そんなことを考えている暇などないようだ。
暗黒生命体はタイムセールスに群がるオバちゃん集団のように、秋人に群がり始めたからだ。
このままではやられてしまう。
逃げは一時の恥。
だが、自分はサムライではないので背中を見せても少しも恥ずかしくはない。
逃げよう。
判断した時には、秋人はすでに動き始めていた。
たった一つの荷物であるバッグを手に取り、隣の塀を乗り越えて逃走を開始した。
しかし、奴らは執拗に追いかけてくる。
六本の足を蠢かせながら、漆黒の羽をはばたかせながら追いかけてくる。
このままずっと追いかけられるのは御免だ。
秋人はバッグをゴソゴソと漁り、ここまで来る道中に買ったお菓子の袋を開け、奴らに向け投げた。
しかしそこで突然突風が吹き、お菓子の袋は風に乗って侵入した家の庭先に落ちてしまった。
だが、そのお菓子の匂いに釣られた排斥すべき生物はそちらのほうに進路を変え、お菓子に群がり始めた。
ガサガサとお菓子の袋が真っ黒に染まるのにはそんなに時間はかからず、あっという間に貪り喰ってしまった。
しかし、その数が数だ。
あの程度の量ではとてもではないが満足できなかったのだろう。
オバタリアンよりも迷惑な生物は、あろうことか家の中へと侵入を図ろうとしている。
秋人とは無関係な家だが、これは自分が撒いた種。
落城を恐れ、どうにか止めようと手が動くが、秋人はその手を力なく引っ込めてしまった。
「……俺は、無力だ」
そう呟くと、肩を落としながら門を開けて外に出て、自分の家へと戻った。
隣の武家屋敷からは何やら阿鼻叫喚の絶叫が響いてくるが、秋人は涙を堪えながらその声を無視し、自分の家のことを考え始めた。
いくら格安で借りたであろうとも、この酷さはサギではないだろうか。
その真相を確かめるべく、秋人はヴィンセントの携帯電話へとメールを送ることにした。
件名は、『借りた家に付いて』。
内容はというと、この物件を紹介した不動産屋の所在を教えて欲しい、というものだ。
本文を書き終え、ピッと送信ボタンを押す。
すると、三分もせずにメールの着信を告げる着信音が鳴った。
送信してきたのはヴィンセントだ。
件名は『無題』となっている。
若干、嫌な予感を覚えながらメールを開き本文を読もうとしたが……。
「……ん?」
本文を開いたはいいが、そこには何も書かれてはおらず、真っ白な画面が広がっているだけ。
書きこむのを忘れたのだろうか? と思い、問い合わせメールを送ろうかと考えたが、本文が終了していることを告げる定型文がないことに気がつき、下にスクロール出来
ることが分かった。
スクロールボタンを下に押し、真っ白な画面を進めていく。
十回ほどボタンを押したが未だに文章は現れず、少しイラついてきたが、やっと黒い文字が現われホッとした。
しかし、その文には簡潔にしてものすごく、マリアナ海峡よりも深く深刻な問題があった。
『逃げられちゃった。テヘっ』
決して熱くならずに、冷静に考えてみよう。
『逃げられた』と書いてある。
そのことが表わすこととは、不動産屋が夜逃げをしたなり偽物の住所なりを教えていたということだろう。
おそらく電話をかけようとも、まず繋がることはない。
極めて冷静に検証を終え、秋人はメールの返信フォームを開き、素直に答えてくれたヴィンセントに対して親愛の情を込めながらこう書きこみ送信した。
『爛れてください』
送信を終えると、秋人はため息を吐きながら、とりあえずはあの生物をどうにかする方法を考えることにした。
おそらくと言うか当然と言うか、あの生物はまだこの家の中に千以上は残っているはずだ。
「薬局、行こうかな」
薬局ならば、あの生物をせん滅させることのできる殺虫剤があるはずだ。
効き目は三か月は続く物が理想的。
しかし、秋人はこの辺りの地理に疎い為、どこに薬局があるのかがまるで分からない。
「散歩がてら探してみるか」
そうと決まればさっそくとばかりに行動を開始した。
適当に、本当に適当にブラブラとブラつく。
通りに美味しそうな匂いを醸し出している店があったら買い食いをし、人に見つからないように路地裏でタバコを一服。
歩いている内に猫が通りがかったので撫ぜたりと、それなりに楽しんでいた。
そうこうしている内に、商店街らしき場所へと辿り着いた。
キョロキョロと見渡してみると、薬局は簡単に見つかった。
さっそく中に入りカゴを持ちながら物色してみると、『バル缶』という名前の殺虫剤が見つかったのでそれを一箱、カゴに放り入れる。
しかしこのバル缶なる商品、知らない会社の商品だ。
いや、アメリカと日本なのだから違いがあって当たり前なのだが。
会社名は、『みんなのVインダストリー(株)』と書いてある。
キャッチコピーはと言うと、『世界の皆さまの為に日夜戦っております。あなたの背中のはるか彼方より』。
……怪しい。
怪しすぎる。
だが人気商品なのか、何故だが一番目を引く場所に陳列されている。
しかも安い。
箱買いをするとさらにお得と、プレートで書いていたりもする。
「……まあ、いいか」
気にしては何も出来ないと思い、秋人はカゴをカウンターまで持っていき、会計を済ませ外へと出て、家路を急ぐ。
まだ日は高いが、バル缶の使用説明を見ると、二時間は放置しておかないと効果がないらしいからだ。
家の近くまで辿り着くと武家屋敷からは、まるでこの世の終わりのような悲鳴が近所中に木霊していた。
それを涙を呑んでスルー。
今は自分のことで精一杯なのだ。
いた仕方あるまい。
「命がけなんだ。悪く思うなよ」
いくら格好をつけようと、実はただ目を逸らしただけだったりする。
「他人のことよりまずは自分のこと、ってな」
そう自分に言い訳をし、ブチ割った窓ガラスに、帰りの道中にホームセンターに寄って買ったベニヤ板をバッグの中に入れていたガムテープで張りつけた。
ガムテープは何かと役に立つと言うが、まさかこんな形で役に立つとは。
ガムテープ様々である。
一通りガスが漏れないようにガムテープで補強をし、さっそくとばかりにバル缶を開け、リビングの中央、二階の各部屋にセット。
後は蓋を開けた部分についている発火薬を、蓋で擦ればいいらしい。
逃走経路を確認し、発火させる。
ジュッ……っと音が鳴って火が一瞬灯り、煙がモクモクと立ち昇り始めた。
奥の部屋からどんどんと発火させ、最後はリビングだ。
ここは念入りにと、バル缶を三個置いておいた。
これで効果がなかったら、会社にクレームをぶつけてやろうと考えながら発火させ、玄関から外に出る。
振り返り、漏れている個所はないかと確かめて回るが、その心配はないようだ。
後は、二時間放置するだけ。
となると、問題は時間の潰し方だ。
あいにくと、秋人には趣味と言えるものはない。
暇潰しにと買ったイラストロジックも、無理だと判断したもの以外はすべて塗り終えてしまっている。
新しいイラストロジックの本を買ってやるのもいいが、それはもう飽きた。
では、クロスワードパズルか?
しかし、日本の現状に疎い自分にクロスワードパズルが解けるとはとうてい思えない。
思い返してみると、商店街に赴いた時に『翠屋』という感じの良い喫茶店があったことを思い出したが、あいにくと休業中だったのでそこで暇を潰すことはできない。
では、どうするか……。
「このまま、ここでボーっとしているのもなんだなぁ」
鍛練でもしようかと思うが、さすがにここらの地理が分からない。
下手をすれば、不審に思った住民が警察に通報する可能性も考えられる。
……それだけは避けなければならない。
何せ身元保証人は海外に居り、自分の身分を証明できる物はパスポートくらいしかない。
これでは、いくら引っ越してきたと言ったところで警察が信じるかどうか怪しいものだ。
もしそうなった場合、ヴィンセントに連絡をするのが定石なのだろうが、あいにくと言うからしいと言うか、ヴィンセントが秋人からの電話に出ることはまずない。
向こうからかけてくることは時たまあるのだが、秋人からかけても出ないのだ。
ヴィンセント曰く、仕事中、だそうだが、本当に仕事をしているのかどうか……。
「……まったく。人が考え事をしているのに、隣はやかましいな」
人が真剣に考えているのにもかかわらず、隣の武家屋敷から響いてくる断末魔がうるさくて敵わない。
これでは考えが纏まらないではないか。
いったい何をそんなに騒いでいるのか……。
「…………」
心当たりが思いっきりあったので、玄関にそっと、あまったバル缶を置いてその場から立ち去った。
決してやましいことや後ろめたいことがあるから立ち去るのではない。
うるさいからだ。
そう、うるさいから。
「俺は悪くない、うん。……多分」
後になるにつれ、声が小さくなるのは気のせいだろう。
きっと。
☆ ☆ ☆
秋人は暇つぶしの為、家の近くで見つけた公園のベンチに座り、物思いに耽っていた。
頭に浮かんでは消えているのは、アメリカの風景。
あの騒がしさや街の匂い、そこに生きる人間の活発さ。
だがそれと同時に漂っている、危険の香り。
実力のある者には夢と希望と金を与え、それがない者や欠落している者には一切それらを与えないという極端な国。
それがアメリカだ。
アメリカンドリームとはよく言ったものだ、と秋人は日本に来てやっと気がついた。
自分やヴィンセントにはおこぼれさえ与えてくれない国だったアメリカ。
しかしそれと同時に、他人を気にしないお国柄からか、居心地は良かった。
自分たちのように、欠落した人間を迎え入れてくれる国は、多くはない。
ここ日本でもきっと……はぶられるのは目に見えている。
暗殺などと言う、人殺しを生業とする自分たちを受け入れてくる者などいない。
いる筈が、ない。
「……ふんっ」
何を今さら考えているのだろうか。
そんな、当り前のことを。
最低な人殺しを優しく受け入れてくれる街?
そんなものある筈がないじゃないか。
主観的に自分のことを考えてないのだ。
だったら客観的に自分を見た場合でも、そんなことをしてくれるわけがない。
「阿呆か、俺は」
自嘲気味に呟くと、タバコを取り出し咥えた。
他人に見られるかもしれないというリスクは考えず、火を点ける。
今は無性にタバコを吸って落ち着きたかった。
訳の分からない悲しさを紛らわせる為にも。
スーっ、とタバコを吸い、肺に染み渡った煙を吐き出しながら空を仰ぎ見る。
「…………」
ここでも、空は青かった。
自分よりはるか上空に浮かぶ雲は風に流され、刻々と自由に形を変えていく空。
この風景はいつ見ても飽きることはない。
何と言っても、空は自由だ。
どの国にも属さず、どの勢力にも属さず、どこから見ても平等にその姿を我々に見せてくれる。
時には青々とした快晴。
時にはどんよりとした曇天。
時には風雨を共にした雷鳴。
時には黄昏を告げる茜色。
時には満天の夜空。
その空をどのように受け取るかも各人の自由。
縛られることのない、まさに自由な空。
あの空のようになりたいと、何度願ったことだろう。
あのように生きたいと、何度願ったことだろう。
「空、か……」
ふと思い出される、幼かった頃の願い。
あの頃も今と同じようにベンチに座り、空を眺めていた。
だが、今とは決定的に違うことが一つだけある。
両親の存在。
隣には父親がいて母親がいる。
たったそれだけの違い。
しかし、途方もなく大きな違い。
あの頃に戻りたいと、何度神を呪っただろうか。
何度すがっただろうか。
「そう……あの時も」
あの時も、空は青かった。
両の手は真っ赤に染まっているのにもかかわらず、憎たらしいほど平等に。
☆ ☆ ☆
二時間が経ったので家へ帰ると、隣からオペラ歌手もビックリな声量は聞こえなくなっていた。
玄関を覗き見てみると、置いて行ったバル缶がなくなっているので、おそらくだが見つけて使っているのだろう。
つまりは隣はもぬけのから。
だから何だという話なので、華麗にスルーをし、自分の家へと入る。
……さすがバル缶と言ったところなのだろうか。
辺り一面は真っ白なガスで覆われ、アレだけガサガサとそこいらを我が物顔で闊歩していた黒き悪魔は死体へとその姿を変貌させていた。
まだ中にはしぶとく仰向けになりながらピクピクと動いているものもいるにはいるが、あと数時間の命だろう。
「ゲホっ」
そう言えば、使用後には要換気と注意書きがあったのを思い出した。
さっそく換気をしようと窓を開けようとするが、何故か開かない。
まるでガムテープでビッチリと張り付いているようだ。
「あっ」
そこまでしてやっと思い出した。
ガス漏れを防ぐ為にガムテープでガチガチに目張りしたことを。
そのことを思い出し、ポリポリと恥ずかしそうに頭を掻く。
幸い、二階は内側からガムテープを張っていた為開けられたので、二階の換気はこれでいいだろう。
二階を終えたので一階に降りると、玄関から外へと出て、外側から張ったガムテープを外し、換気を始めた。
開け放たれたすべての窓からは、モクモクとまるで火事さながらに煙が出てくる。
少し多く焚きすぎたか? と若干後悔しながら、この煙を見た付近の住人が勘違いをし、消防車などが来ないことを祈りながら庭の片隅に座り込む。
ぼうっ、と煙を見ながら換気が終わるのを待っていると、案の定と言うか当たり前と言うか、この煙を見て駆けつけただろう女の子がやって来た。
女の子はよほど急いで走って来たのだろう。
肩で息をしながら、わたわたと慌てている。
消防車を呼ばれると厄介なので、秋人は簡潔かつ明瞭に事実を告げた。
「バル缶焚いた」
秋人の言葉を聞き、女の子はキョトンとした顔をした。
……少し端折りすぎだろうか?
何か言葉を付け加えようとしたところ、女の子は秋人の言葉にしばし逡巡し、やがて合点がいったようにポンっと両手を合せ叩いた。
どうやら納得してもらえたようだ。
説明の手間が省けたことを喜んでいると、女の子は「ありがとうございます」と言いながら急に頭を下げてきた。
いったい何故頭を下げ、感謝の言葉を言っているのかまるで分からない秋人は何を言っていいか分からずただ黙ってそれを見ていたが、ラッキー(なのだろうか?)なこと
に女の子の方からその行動についての説明してくれた。
「あまったバル缶を分けてくれて、本当にありがとうございます。おかげで助かりました」
「バル缶?……ああ、なるほど」
その単語で女の子の行動にやっと合点が行った。
秋人が言った『バル缶』と言う単語。
そして、玄関の前に置いてあったバル缶。
この二つを関連付けるのには充分だったのだろう。
女の子は心から感謝しているようで、何度も礼を言っている。
若干心が痛むが、これはあくまで気まぐれな風が起こした事故だ。
もし文句を言うなら風の邪神に言ってくれ、と心の中で言い訳をした。
実際には一○○パーセント秋人が悪いのだが、そこはあえて触れないでおく。
いや、ただ真実を言う勇気がないだけなのだが。
「……うるさかったからだ」
「えっ?」
「ただうるさかったから、置いていっただけだ。だから礼を言われる筋合いはない」
「で、でも……」
「デモもムービーもない。いいからもうどっか行ってくれ」
女の子は秋人の言葉にオロオロとうろたえたが、やがて諦めたのかションボリとしながらその場を去っていった。
「……フンっ」
どうしてあのような言葉を放ったのかと問われれば、関わり合いになりたくなかった、と言う他ない。
人が怖い。
誰にでもその感情はあるだろうが、秋人の場合は異常だった。
少しでも知らない人に話しかけられるだけで恐怖し、すぐにでもその場から逃げ出したくなる。
他人を信じられない。
いや、自分さえ信じていない。
そんな秋人が唯一信じている人物はヴィンセントだけ。
あんなハチャメチャな人柄だが、秋人にとっては信じられるただ一人の男。
なぜ人が信じられないのか。
なぜ人に恐怖を感じるのか。
それは、秋人にとって心の拠り所であった大切な人が――いなくなったから。
こんな秋人を心から受け入れてくれて、抱きしめてくれて、笑顔を見せてくれた人が。
その人物とは――母親。
その母は、秋人の目の前で死んだ。
どしゃ降りの雨が降る日。
雨がっぱを着て、長靴で水たまりを踏みながら楽しそうに歩く秋人。
そんな秋人を母親である夏樹は微笑ましく見守っていてくれていた。
だが、そんな母子に不幸な事故が降りかかる。
視界が悪かったというのもあるのだろう。
ブレーキング音が後ろで鳴り響いた時にはもう既に至近距離までに車は迫っていた。
車のヘッドライトが照らし出した秋人を突き飛ばし、秋人の身代わりとなって亡くなったかけがいのない母親。
その時は、何が起こったのかまるで分からなかった。
母から溢れだした血がアスファルトに滲む込むにつれだんだんと意識がハッキリとし、秋人は泣いた。
叫んだ。
だが近くを通った大人は誰もが見ぬふりをし、関わり合いになろうとはしない。
やっと声をかけてくれた人が現われて時には、既に十分以上が経っていた。
救急車を呼んでくれたが、病院に着き医者が母を診てくれたが、すぐに首を横に振った。
母を診た医者は『打ち所が悪かった』『もう少し早く運んでくれたら』と言い訳とも受け取れる言葉を秋人にかけるだけ。
その時は、医者が言うんだからそうなのだろうと信じた。
母が亡くなったのは、不幸な偶然が重なりあった末の事故だった、と考えた。
しかし時が経つにつれ、あの事故は自らが引き起こしてしまったのではいかと考えるようになってしまった。
あの時、母から離れていなければ。
あの時、はしゃいでいなかったら。
あの時――。
考えれば考えるほど、自らを追い込んでいく、悪循環。
救いの道を見いだせず、自分で自分の首を絞める、アリ地獄。
この地獄から抜け出せる道は果たしてあるのだろうか……?
あると、信じたい。
信じていなければ、自分の心が潰れてしまうから――
やっと換気が終り、家に入ると、有象無象の鬼畜どもはお亡くなりになっていた。
さっそくとばかりに、秋人は商店街で貰ってきたビニール袋を裏返し、内側となった外側の中に手を入れ、黒や茶色の者どもを袋の中に拾っていく作業を始めた。
「……ふぅ」
目に見えるところにいたまろ虫は片づけたが……六袋分もいたとは思わなかった。
これでは朽ちた家財道具を片した時にはいったい何袋必要になるのやら……今さらながら憂鬱な気分になってきてしまった。
だが、そんなことをいつまでもグチグチと考えていても、この状況が改善される訳があるはずはない。
当然だ。
何も行動してはいないのだから。
行動しなければ、流れるのは停滞した時間だけ。
時間に取り残された自分がいるだけだ。
ゆっくりとそれは流れるのだろう。
ゆっくりと、ゆっくりと。
しかし、確実に。
確実に自分という存在はその場に取り残され、同じ時間にいたはずのモノは自分より前を歩いているようになってしまう。
それは孤立するということと同義ではないだろうか。
その場に佇み、前を歩いているモノの背中を見続けるしかなくて、振り返りはするかもしれないが、決して手を差し伸べてはくれない。
あるはずのない壁が生まれてしまう。
――そんなのはイヤだ。
だったら、答えは決まっているじゃないか。
「――やるか」
☆ ☆ ☆
あれから数時間が経っただろうか。
秋人は朽ちた家具――中にはまだまだ使える物もあったのでそれ以外。また、第一印象よりも残っていた家具は少なかった――を外に放り投げ、古代よりほとんど姿を変
えていない、ある意味、究極の生物≠回収し終えた秋人は、二階にあった一室を自室と決め、大の字で寝ころんでいた。
ここだけは掃除が終わったが、他の場所はまだ掃きさえしていない。
だがそれも仕方がないだろう。
何せゴミの量が量だ。
一日で、独りで終わる訳がない。
それを知っているからなのか、秋人は一人、腐っていた。
天井を見上げながらブツブツとこの事態への悪態をつき、タバコをふかしている。
「…………」
秋人は何気なしに左手に持っているタバコを見つめた。
紫煙はタバコから立ち上り、天井に届く前に霧散し見えなくなってしまった。
だが、実際には天井まで届いているのかもしれない。
見えないだけで、実際には存在しているのかもしれない。
それを確かめたくて、右手を伸ばす。
見えていないだけで、そこには――
「あっ……」
動いたからか、灰がポロリと床に落ちてしまった。
床に散らばったその灰を見ると、何故だか悲しい気分になってしまう。
自分もこの灰のように不要な人間なのだろうか?
いずれは落ちるのだろうか?
ただ――汚すだけに生きているのだろうか?
そんなことを考えてしまった。
独りになったことで、柄にもなくアンニュイになってしまっているのかもしれない。
そう考えた秋人は立ち上がり、掃除の続きを再開しようとした。
――コンコン。
動かそうとした手が止まる。
今の音は何だろう?
何か板を叩いたような音だった。
――コンコン。
今度は先ほどよりも大きな音で聞こえた。
どうやら玄関の方から聞こえているようだ。
それに声も聞こえる。
どうやら女の子の声のようだ。
誰だろう?
そう考えながら、玄関へと向かった。
「あのー、誰かいませんか?」
今度はハッキリと聞こえた。
この声には聞き覚えがある。
先ほどの女の子の声だ。
何か用なのだろうか?
礼はさっき聞いたが……などと考えながら戸を開けると――
――ゴッ!
鈍い音が脳に響いた。
「…………」
「…………」
「……あの」
「…………」
「ご、ごめんなさい」
「……ふんっ」
「何度も謝っているじゃないですかぁ」
「つーん」
「う、うぅ」
「つつつーん」
頭を殴られてから小一時間ほどは経っただろうか。
場所をリビングに移し、少女に何度も謝っていたが、秋人は頑なに態度を変えなかった。
ただ単にイジケているともいう。
少女は困った顔をしながら、どうにか秋人の機嫌を取ろうと必死になっている。
こないだあった面白い話をしてみたり、冗談を言ってみたり、手品をしてみたり。
だが、唯一反応を見せた親指が離れるという手品でさえ、秋人は態度を変えなかった。
困りに困った少女はテンパってしまったのか、ゴソゴソとポケットに手を突っ込み、アメを取り出した。
「食べます?」
手の平に置かれたアメをじっと見つめる。
見つめに見つめ、手を伸ばし、そのアメを口に含んだ。
コロコロと舌で転がしてみると、甘い味が口中に広がった。
「美味しいですか?」
「ん」
「よかった」
その言葉に、自分は今怒っているのだということを思い出した。
「つーん」
「ああ、もう」
やっと氷解したと思ったのに、すぐに元の態度に戻ってしまったことに少女は頭を抱えた。
その時に気がついたのか、自分が持ってきた小箱のことを思い出したようだ。
おそらく詫びの品だと思われる箱の蓋をカパっと左右に開け、中に入っているモノを取り出すと秋人の目の前に持ってきた。
それは、綺麗にデコレーションを施され、カットされたショートケーキだった。
「食べます?」
甘いバニラの香りが鼻孔をくすぐる。
その香りは、無意識に手が動いてしまうほど魅力的だ。
そこで、はたと気がついた。
ここで負けていいのかと。
こんなに簡単に凋落していいのかと。
男として、菓子の一個や二個で機嫌を直していいのかと。
それはただ意地を張っているだけなのかもしれない。
いや、多分そうだろう。
だが、しかし。
男には男の意地がある。
のだと思いたい。
という訳で――
「つーん」
意地を張ってみたりしてみた。
ものの数分も持たなかったけれど。
「どうですか?」
そう聞いてくる少女の顔には自信のようなものが浮かんでいる。
よほどの自信作なのだろう。
ここは素直に言ってしまっていいのだろうか? そう一瞬考えたが、美味い食べ物は口を軽くしてしまうようだ。
「美味かった」
決してお世辞ではなく、素直に言えた。
そのくらい美味しかったのだ。
一番最初に食べたショートケーキも、隠し味として練乳が入っていたようで美味しかったが、やはり一番はシュークリームだろう。
サックサクのシュー生地は歯触りが心地よく、クリームも凝っているようで、コッテリといつまでも舌に残っているような嫌味な味はせず、軽やかな甘さがした。
調子に乗って何個も食べてしまったとしても、胃がもたれるようなこともない。
とはいえ、秋人はお菓子をそれほど食べるわけではない。
もしかしたら、もっと美味しいお菓子はあるかもしれないが、今まで食べた中では一番美味しかった。
「よかった」
さっきも同じセリフを聞いたような気もするが、こちらの方がさっきよりも落ち着いた感じがする。
やはり自信があったからだろう。
秋人はそう解釈した。
「あ、ごめんなさい」
「ん?」
「まだ自己紹介がまだでしたよね」
思い出してみる。
そう言われてみれば、まだこの娘の名前は聞いていないような気がする。
もちろん、自分も名前を言った覚えはない。
少女は胸に手を当てると、自己紹介を始めた。
「わたし、高町美由希って言います。隣に住んでます」
「ふーん」
「はい」
「ん?」
「ん? じゃなくて、次はあなたの番ですよ」
「ヤダ」
「ヤダって」
「何で俺が自己紹介なんてしなくちゃならないんだよ。お前が勝手に言いだしたんだろ」
いつもこうだ。
内心、自分に対し悪態を吐いた。
いつもこうやってチャンスを逃してきたのに、まるで学習しない。
こんな態度を取ってしまうから、いつまでも友達ができないとわかっているのに。
わかっているはずなのに。
どうせ、今回も同じなんだ。
ここでいつもみんな、自分から遠ざかっていく。
「ダメですよ」
そう諦めていたのに。
「自己紹介は大事なんですよ。じゃないと、友達、できませんよ」
今回は違った。
「ほら、自己紹介してください。じゃないと、シュークリーム、もうあげませんよ」
こんな態度を取っている秋人に、少女――美由希はなおも声をかけてくれる。
「――――」
その自然な態度に、飾らない笑顔に揺さぶられたのか――
「あ……相沢……秋人」
美由希は、ニコっと微笑んだ。
☆ ☆ ☆
何がどうしてこうなった?
何度も自分に問いかけている言葉をもう一度呟いた。
なぜ、さっきまでの美由希との会話で夕飯をご馳走になる流れになってしまったのだ?
ただ自己紹介をして、その後にちょこっと話をして、そろそろ夕飯の時間だね、と美由希が言ったところまではわかる。
そこまでは筋が通っているはずだ。
なのになぜ、いきなり夕飯をご馳走になる流れになった?
秋人はただ普通に、うん、だの、そう、とかしか返していないはずなのに。
何度思いだそうとしてもそこに繋がる筋道が理解できない。
「うーん?」
腕を組みながら唸っていると、秋人が座っているソファの隣に男が腰をかけてきた。
「どうした、そんなに唸ったりして?」
今度は対面に。
「何か考えごとかい?」
二人は美由希の父と兄だという。
さっき家に上がる時に紹介されたのだ。
台所では美由希と母の桃子が並んで料理をしている。
桃子の仕草をじっと見ているのは末っ子のなのはだ。
この状況を見てもまだ秋人は唸っている。
「うーん?」
そんな訳のわからない状況のまま、ご飯の支度ができたという美由希の声に導かれるままにテーブルに向かった。
「今日はずいぶんと豪勢だな」
「でしょう。美由希が張り切っちゃって」
「かーさん!」
「ははは。ほら相沢君。遠慮しないで食べていいんだよ。涙が出るほど美味しいから。桃子の料理は」
その言葉通りの意味で泣けてくる。
だって、どう見たってこれ、料理になんて見えないんだもん。
白く平たい大皿にこんもりと盛りつけられたそれは、無理矢理にたとえるなら丸めた便座カバーみたいだった。
ドロリととろみのついた、というか半ば固形化した危ない薬品っぽいモスグリーンのソースがタップリとかけられていて、出来上がってからいくらか時間が経っているはず
なのに、今も強火で加熱されているかのようにぐつぐつと煮たっている。
湯気を立ち上らせながらも、大量の油分が完全に分離して不気味な斑模様を描いているそれを、いったいどうやって食えというのだろうか?
そもそも、なんの料理のつもりなのだろうか?
尋ねようとして秋人は思いとどまった。
だって聞いてしまったら心が折れそうだったから。
間違いなく言えることは、口にしたらタダでは済まないことだ。
(食えるのかっ、オイッ!?)
顎の長い、元プロレスラーで元国会議員のあの人が脳内で問うてきた。
(食えません! 自分、コレ、無理ッス!!)
どうにか口に入れることを拒否しようと美由希を見た。
「――っ!」
戸惑う子供のような表情がそこにあった。
目が合うと彼女は慌てて顔を逸らし、もじもじと落ち着きなく身じろぎながら呟いている。
(食えるのかっ!?)
(食えるともっ! ――食ってみせるっ!!)
顎の人がニッコリと笑って『だっしゃ――ッ!』と拳を突き上げ激励してくれた。
その後、起こった出来事は言うまでもなく。
☆ ☆ ☆
「……ごめんなさい」
「いや、いいって」
美由希の手料理を飲み込んだ後、秋人は昏倒し、数時間の間気を失っていた。
ソファに寝かされていた秋人が気がつくと、美由希の顔がそこにありすまなそうに謝ってきた。
「でも……」
「だからいいって。美味かったし」
「嘘」
「嘘なんか吐いてなんの得があるんだよ。アレは美味かった」
少し語気を強く言ったら、美由希は少し嬉しそうに頷いてくれた。
その顔を見て、秋人は口角を少しつり上げながら起き上った。
まだ少し足元がふらついているが、問題はないだろう。
なにせ家はすぐ隣だ。
秋人が帰るということを伝えると、美由希はまだ寝ていた方がいいと言ってくれたが、秋人は断り、玄関に向かおうとしたところ、その肩を美由希が支えてくれた。
それが少し気恥ずかしく、なんだかむず痒いので断ったが、美由希はがんとして譲らない。
お互いの断りの応酬が続いていると、玄関に着いてしまった。
その場には二人の声が聞こえたからか、先ほど顔を合わせていた高町家の連中が全員集まっている。
「ごめんね。あんなことになっちゃって」
桃子はそんなことを言いながらも、顔ではありがとうと言っているのがわかる。
他の連中も秋人がやったことの意味がわかっているのか、全員皆笑顔だ。
それがこそばゆくて、わざとぶっきらぼうに言う。
「じゃ」
後ろを向きながら手を上げ、短く呟くと玄関を出ていく。
「あ、待って」
秋人が歩きだしたのと同時に美由希がついてきた。
また肩を貸すと言っているが、なにか言葉を発するとまた有無を言わさずに同じことになる気がしたのであえて無視したまま門をくぐり、道を曲がる。
そこにはボロっちい自分の家が見ている。
なのに、まだ後ろには美由希がついてきている。
肩を貸すことを諦めたのか、無言だ。
では、なぜ?
「なんでついてくるんだよ」
「え?」
言っている意味がわからないのか、美由希はキョトンとした顔で返してきた。
そして、当然と言わんばかりに言ってくる。
「家に入るのを見てから私も帰ろうと思って」
意味がわからない。
そんなことをしてなにになるというのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、思わず自分の家を通り過ぎてしまうところだった。
恥ずかしくて後ろの方を見てみるが、美由希は笑顔で手を振っている。
調子が狂う。
なんで今日会ったばかりなのにそんな笑顔ができるのか。
なんでそこまで心配してくれるのか。
なんで優しくしてくれるのか。
なんで――
自問自答しながら門を開け扉を開き、また美由希を見た。
美由希はまだ手を振っている。
少しばかり逡巡した後、秋人は小さく手を振り中に入った。
その後のことは、よく覚えていない。
☆ ☆ ☆
「へえ、そんな風にして二人は出会ったんやな」
「うん。そのあと少ししてからかな。秋ちゃんって呼ぶようになったのは。最初は凄く嫌がったけどね」
秋人が起きていることに気が付いていないように、二人はあははは、と笑っている。
あの後、美由希は桃子に料理を教わり、なんとか人が食べられるモノを作れるようにはなった。
だが、それまでも道のりにある努力の成果という名の物体Xを食べた夢を見てしまい目が覚めた。
その頃は朝食を食べていないと言ったら得体の知れないモノを食べさせられる毎日だった。
しかも買ってきた惣菜などではダメだと言われ、ほぼ無理矢理食べさせられたのだからたまらない。
それを回避するために自炊ができるようなったのだから、人生なにがあるかわからない。
「それで、その後はなにがあったん?」
「えっとねー。ああ、そうそう。こんなこともあったんだよ」
完全に起きるタイミングを失ってしまった秋人は、昔話を聞きながらもう一度眠ろうと決め、もう一度懐かしい夢を見ることにした。
あとがき
遅くなりました、どうもシエンです。
いやあ、夏に投稿して以来になりますね。
すみませんでした。
本当にすみませんでした!
ああ、石を投げないで。
と、見苦しいところを見せたところで、今回の外伝の説明をさせていただきます。
簡単に言うと――昔話です。
……その通り過ぎますね。
でも本当なんだから仕方ない!(ぇ
えー、グダグダですがこれ以上あとがきを書いても今現在テンションがおかしいですのでなにを口走るかわからないのでここで終わりにさせていただきたいと思います。
ありがとうございました!
投稿のペースをもっと上げないと……(´゜ω ゜)
拍手はリョウさんの手によって分けれらています。
誰宛てに送ったのか、または作品名を明記して送ってくださると助かります。
宛先や作品名などが明記されていないと、どこに送っていいのかが分からなくなるそうです。
ご協力のほど、お願いいたします。